夫がリストラ!雇用保険なし、貯金残高なしで迎えたさらなる出費【体験談】

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今回は私が20代の頃、息子の医療費の負担、夫のリストラなどで経済的に困窮していた時期のことについてお話したいと思います。

体験者の情報

名前:小林 蓉子
性別:女性
当時の年齢:28歳
当時の家族構成:夫(43歳)、義理の息子(19歳)、長男(8歳)、次男(5歳)
当時の職業:印刷業の営業事務(パート)夫 電子系エンジニア
経済的に困窮していた時期:1994年4月~1996年2月

悪夢ふたたび!?悪い事は続くもの

バブルが崩壊して間もない、1994年・・・

当時5歳の次男が重度の喘息発作を起こして入院しました。救急車で搬送され、命の危険を宣告されることになりました。

実は次男は2歳の時にも「突発性血小板減少性紫斑病」という、血小板の数が異常に減少して出血斑(あざ)が体中に出てしまう、血液の難病にもかかったことがあり、ようやく治療も終わって間もないころでした。

当時も「脳内への出血が認められたら、諦めて下さい。」と、医師から宣告を受けました。難病ですから、集中治療室への入院です。

2週間で35万もの医療費が保険を差し引いてもかかりました。夫婦2人で50万円の収入がありましたが、生活費もあります。

給与だけでは払いきれる金額ではありません。足りない分は貯金を崩し入院費と退院後の通院費に充てました。

会社倒産と高額医療費で家計崩壊!!

今回も不幸中の幸いで、なんとか息子は一命を取り留めました。気管内挿管をして、ありとあらゆる装置が体中に取り付けられ、ビニールで囲まれた個室のベッドに横たわる息子。

あまりの痛々しさに『なんでウチの・・・それもこの子だけがこんな目に遭わなければならないのか』やり切れなさと憤りを感じた日々でした。

しかし、神様は残酷です。
追い討ちをかけるような事態が起こります。なんと、夫がリストラになってしまったのです。

専門職だったために給料が高額だったので、真っ先にリストラ対象者になってしまったようです。

勤めていたのは夫の知り合いの会社で、夫は誘われて入社していましたが、なんと雇用保険加入がされていませんでした!!

これでは雇用保険が受け取れません。夫は労働基準監督局へ再々足を運び、訴訟の相談をしますが、その内に会社自体が存在していないことが発覚します!!

こうなってはあきらめるほかありません。夫はハローワークに出向き、職探しに没頭していました。

ただ、捨てる神あれば拾う神ありです。

幸いにも自宅からそんなに遠くないところに電気工事を営んでいる会社があり、すぐに採用されました。夫は新しい会社で働くようになりましたが、前職より手取りで10万円少ない収入になってしまいました。

当時の家族構成は5人家族。夫の給料は手取りで28万円、私のパートの給料は12万円です。

合計40万円の内、2DKのアパートの家賃が10万円、光熱水道費が3万円、食費が8万円、夫のお小遣い4万円、教育費3万円、夫の通勤用車維持費3万円、保育費9.300円、雑費2万円で、合計が33万9,300円ほどです(生活費は月によって前後します)。

しかし今回の次男の入院で15万円の出費が加わります。8万9,300円の赤字になってしまいました。そしてまた、悪夢が続きます。

夫が再就職して半年経った頃、夫の勤め先が倒産してしまったのです。

急な事で頭の中が真っ白になりました。この頃、次男は喘息の発作で毎月入退院を繰り返してました。その度に入院費はかかります。1ヶ月8万円の時もあれば、12万円の時もある。

また、入院の度に私はパートの仕事を休んだりすることもありましたので、夫婦で合計40万の収入確保は不安定な状態でした。

これから収入の柱になっていた夫の収入が無くなる・・・
この先、入退院を繰り返す次男や、育ち盛りの長男を抱えて、どうやって生活していけばいいのか分からなくなりました。

貯金はもう残高がありません。先のことがまったく見えない状況に気がおかしくなりそうでした。

それでも毎日の生活や医療費の請求は待ったなしにやってきます。

とにかく働けるだけ働こう

パートにバイトに明け暮れる毎日。
しかし泣き言なんて言っていられない!!

夫には再就職の活動だけに没頭してもらうことにしました。義理の息子は就職したばかりで、給料もそんなにないので頼ることは出来ません。

とにかく自分の生活だけはなんとか給料以内でやってもらうようにしました。そして私は、出来る限り掛け持ちで仕事をすることにしました。

とにかく「働けるだけ働け」これしかないと思いました。パートを休んでも、違う職場で別の時間に働くことが出来れば、減収することは避けられます。

本職としていたパートの仕事は9~17時までのフルタイムでした。その前に6~8時30分まで生協の宅配用仕分けのアルバイトを入れました。早朝の為、時給も1.000円です。

1週間に6日働いて、4週で6万円です。本職のパートを例え半月休んだとしても、その分がなんとか補えます。

家事は18時から23時までの間にまとめてやりました。それでも、寝る時間を5時間は確保出来たので無理はなかったと思います。当時20代なので体力もあったと思います。

国や市町村、まわりの援助を受けよう

限られた少ない収入でやりくりするには「食費の削減」が重要でした。

とにかく私の休みが丸一日取れる日曜日に、夫と買い物に一緒に行き、まとめ買いをして 1週間分の献立を作りました。

お肉が安ければ多めに買って、シュウマイを作って冷凍保存したり、調味料としても使える肉味噌を作りました。

実は私はこうした堅実なやり方が苦手でした。それまでは本当にドンブリ勘定だったのです。

まめに家計簿を付けてチェックしたり・・・これが苦手だったため、レシートを日にち別に分けてノートに貼り付けて、日々の出費をチェックしていました。

ですが、堅実なやり方も、やはり限界があります。精神的に滅入ってくるのと、多忙のあまりイライラが募り、私自身が体調を崩すようになりました。朝のアルバイトも休まなければならない始末です。

心配した夫は、自分の兄弟姉妹に事情を話し、とりあえず1ヶ月分の生活費を工面してもらえるように頼んでくれました。そのお陰で休んだ間に体調を整え、それ以降は仕事を休むこともなくなりました。

また、次男にかかる医療費についても、当時住んでいた東京都の場合、喘息児(18歳まで)に対しての医療費助成(※)があることを知り(同じ小児科病棟で入院していた、次男と同じ喘息を持ったお子さんの保護者の方から教えて頂きました。)、早速申請をしたのです。

この東京都の医療費助成はとても助かりました。喘息に関わる医療費は(入院費を含めて)全て公費で支払われます。もっと早く知っていたら色々悩まずにすんだはずです。

特に病院から教えてくれるということはないので、どんなことでも病院内にいらっしゃるケースワーカーさんにまず相談するべきでした。

(※)現在東京都の喘息を患っている患者さんへの医療費助成については、平成20年8月1日より、全年齢対象と改正になっています。詳しい事は東京都福祉保健局http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/へお問い合わせください。

実際、経済的に困窮しても誰にも迷惑をかけたくないという心理は、どんな方でもあるものだと思いますが、路頭に迷うような最悪の事態にならない為にも誰かに相談することは必要なのだと実感しました。

親戚やまわりの方への援助のお願いももちろんですが、国や市区町村などにも頼るべきです。

私自身、住んでいる地域の補助や助成制度について調べてみると、知らなかったことが沢山あったので、「もっとはやく調べて利用していればよかったな」と思いました。

その後、なんとか生活をやりくりしているうちに(私が掛け持ちで働くようになって半年以上経った頃)夫の新しい就職先が決まりました。

それも一部上場企業です。給料も年俸制で安定が見込まれます。

さらに東北地方へ赴任になることになり、次男の喘息にとってもいい環境になるのではないかということで、私たち家族はとても喜びました。

経済的には安定したのに、離婚へ・・・

この後、私達家族は東北に1年間住むことになりますが(引越し費用はすべて夫の勤める会社負担です)、また夫が転勤となり山梨県へ家族で移動します。

すでに就職していた義理の息子は、東北赴任のときから東京に残り一人暮らしを始めていました。

しかし、私たち4人家族は私たち夫婦の離婚という結末を迎えてしまいます。

経済的には元の生活に戻ったのにもかかわらず、精神的に落ち着いた頃にお互いに鬱積していたものが抑えきれなくなって、噴き出してしまいました。

あれだけ苦労を共にしてきたのに、ストレスはお互いの心に重くのしかかっていたようです。お金に対するストレスは、想像を絶するものがあります。

経済的に困窮していた時期は、お互いを思うがために大丈夫なふりをしていたのですが、ずっと我慢していてはいずれ爆発してしまうのは当然です。

遠慮や我慢は「美徳」のように思われがちですが、夫婦であればそれを表に出してもいいのではないかと今は思います。

私はけっこう楽観的にものごとを考える性格です。それは自分の長所でもありますが、備えることに関して楽観視してしまうところが致命的です。

今回の結婚生活の中で経済的な困窮をむかえたとき、結婚当初からどんぶり勘定などではなく、現実的に日々備えていたら、行き当たりばったりの対処をしなくて済んだのではないかと反省しています。

あなたはどうですか?
急な出費への備え、心構えは完璧ですか?

人生の最悪の事態をシュミレーションしてみる、住んでいる地域の行政を知る、そして自分のことをきちんと知っておく。

私は今回の件でこの3点を心に留めるようになりました。

今もことあるごとに、思い起こして実践しています。お金がある、なしで人生をふりまわされないようにするために大事なことですよね。

この記事の筆者

小林 蓉子(こばやし ようこ)
1966年生まれ。20歳のときに親の大反対を押し切って15年の差の元夫と結婚。順風満帆な生活を送るも、次男が病魔に襲われ、また元夫がリストラや倒産・・・というように立て続けに災難が続き、経済的な困窮を迎えてしまう。なんとか経済的困難を乗り切るが、その後離婚。離婚後は一人暮らしで派遣社員で職を転々とするが、現在は正規社員として働くかたわら、アロマテラピーのプロフェッショナルライセンスを取得し、心理カウンセラーの学習をしながらストレスを抱える人たちへの「癒し」を提供している。

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