軽い気持ちのキャッシング。家族の為と思って借りたが...【体験談】

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私は以前「借金をするぐらい、普通のことだ」という考えの持ち主でした。

そんな私の考え方が大きく変わったのは、15年前に自己破産を経験したからです。

「借金はしない、たとえ家族のためでも」これが今の私の信念です。

体験者の情報

名前:工藤 ゆき(仮名)
性別:女性
当時の職業:アパレル店員
当時の年齢:22歳
借入先(会社名):JCB、オリコ、ジャックス、セゾン、その他多数
借金件数:7件
利用時期:2000年9月頃~2004年5月頃
最大借金総額:500万円

軽い気持ちでキャッシング、最終的には自己破産へ

父の工場が経営不振になり、それを助けるために私はクレジットカードと消費者金融からおよそ500万円の借金をしました。

軽い気持ちで次々と手を出してしまい、気が付くと7社から借入していたのです。

しかし待っていたのは、返済の催促が自宅や職場にまで押しかけて来るような毎日でした。他に道がなくなり、家族全員で自己破産するまでの体験談です。

キッカケは母の一言から

この頃私は、4年間勤めた銀行を辞め、アパレル会社に転職したばかりで、とても忙しい毎日を送っていました。

それはもう、母の悩みや愚痴に付き合ってあげられないほどに。

そんなある日、突然父が自営業を始めることを知らされました。

以前から言っていた念願の自動車整備工場を、某自動車会社から譲り受けることができると言うのです。私は反対しましたが時は既に遅く、契約を交わした後でした。

後に母から、「あの時、あんたに相談したかったけど、すごく忙しそうでできなかった」と言われ、凄く反省した記憶があります。今思うと、この時ちゃんと話を聞いていれば、後に深刻な事態にはならなかったかもしれません。

父が事業を興して3ヶ月ほど経った頃、異変が起こります。

某自動車会社から優先的に回してもらっていた仕事が、入らなくなったのです。

それまでは月に100万円ほどの売り上げが、少ないながらコンスタントに入っていたので、何とか踏ん張って来られましたが、急に足元がぐらつき始めました。

そして5ヶ月後には、経費や従業員の給料すら払えなくなり、母からこう相談されたのです。

「あんた、どこかでお金を借りられるだけ借りてきてくれない?」

私は「借金」というものにかなりの抵抗がありましたが、以前、話を聞いてあげられなかった負い目から、二つ返事で「いいよ」と約束しました。

簡単だったからこその落とし穴

この時代は今とは違い、勤続年数が短くても簡単にカードを作ることができました。

最初に借りたのはJCBカードで、50万円です。

JCBカードは以前働いていた銀行で作ったもので、キャッシングを一切使用していなかったため、限度額は最初50万円でしたが、半年後に100万円に増額していました。

その後オリコ50万円、ジャックス20万円、セゾン30万円の枠でカードを作り、どれも限度額いっぱいまで借りました

この頃は毎月、父の会社で足りなくなった支払い金を補填するために、1ヶ月に1枚カードを作っていたのです。

しかしさすがにカードの所持数が増えると、一社の限度額は徐々に低くなっていきます。

一方、それに反比例するように悪化していく、父の会社経営。

この時に全てをリセットしていれば、手遅れにならずに済んだかもしれません。

しかし最初の借り入れから7ヵ月後、ついにクレジットカードのキャッシングだけでは足りなくなり、私は消費者金融にも手を出してしまうのです。

10分で発行されるカード

この頃の消費者金融は、自動契約機を使えば、10分程度でカードを発行することができました。

機械の前に座ると紙が一枚用意されており、必要事項を記入してスキャナーに通します。

次に、運転免許証もスキャナーに通します。そして5分ほど経つと、機械の向こうで優しそうなお姉さんが突然話し始めます。

先方が確認することは3つ。

  • 氏名、住所、生年月日など基本情報
  • 勤務先(この時すでに勤務先には電話確認を入れているようです)
  • 現在のクレジット等の借入残高

以上が本人の申告と相違なければ、2、3分後にカードは発行されます。

そしてその場で、限度額30万円まで一度に出金することができました。

消費者金融で言われた一言

私は基本的に機械で申し込みを行いましたが、A社だけは窓口へ行きました。その頃はまだ機械がなかったからだったと思います。

A社は、窓口で対応してくれたのが若い男性でした。とても物腰が柔らかく、終始優しい口調です。

しかしその後ろで作業をしている男性たちはとても強面で、それを見て初めて「私はとんでもない所にお金を借りようとしている」と感じました。

A社の所要時間は30分で、聞かれたことも他社とほとんど一緒でした。

しかし1つだけ違ったのは、「無断で返済が遅れた場合は、当社規定により処置を取らせていただきます」と念を押されたことです。

私はこの時、ただ訳も分からず「はい」と返事だけしましたが、その後とんでもないことになってしまうことになるのです。

その後消費者金融3社とも、限度額が徐々に増えて、最終的には合計で300万円ほど借りました。

給料を超える返済額

当時、私の収入は手取りで19万円ほどでした。氷河期といわれる時代でしたが、20代前半で随分頂いていたと思います。

しかし、毎月ほとんど手元には残りませんでした。

返済額が徐々に増え、最大で毎月14万円ほどになっていたからです。

当時は年利で25%ほどでした。とにかく金利が高かったのです。

そのため、一社2万円ずつぐらい返済していかなければ、元金が減ることなどありません。

さらに、自分だけでなく家族全員を、私の給料で養っていました。友達付き合いや彼氏とのデートに使えるお金すらなく、本当に辛い辛い毎日でした。

厳しい取立ての日々

借金総額が500万円ほどに膨らんだ頃、父の会社は相変わらず苦しいものの、毎月50万円ほどの収益が入るようになっていました。

私が最初にキャッシングしてから2年経った頃です。

一方、私の返済の方は1ヶ月、2ヶ月、3ヵ月と返済が遅れるようになっていきます。次第に、お詫びの電話を入れただけでは許してもらえなくなりました。

そしてとうとう遅延して3ヶ月を過ぎた頃、窓口で見たあの強面の男性たちが家へ来るようになったのです。

居留守を使っているとバレると、怒鳴り声に近い大声で叫びます。

「工藤さーん、いるんですよねー。見えてますよー」

それでも無視していると今度は裏庭に回って、ひたすら窓を叩く。本当に家に誰もいなかった時は、帰宅すると窓が割られていたことがありました。

私がお風呂に入っていた時にも風呂場の窓を叩きながら、「早くお風呂出てくださいよ。ガス代は払えても、うちには払えないってか」と怒鳴られたりもしました。

この時の口調は脅すような言い方で、本当に怖くて、私は湯船に顔をうずめて泣きました。

家族みんなで身を潜めるように暮らしていたのです。

こうした取立ては、A社だけではありません。他社の男性は、職場にもやって来ました。

私の勤務時間が終わるまで、お店の外でずっと立って待っているんです。ほぼ毎日です。

スタッフからも「工藤さん、お店の前にずっと変な男の人がいるんだけど。警察に言う?」と相談されていました。

私にもまだ変なプライドがあったので、自分のせいで来ている男だとは言えず、結局、その会社を辞めることになってしまいます。

酷い取立てでした。今でも、思い出すだけで悲しくなります。

でも、これは誰のせいでもない。自分たちがまいた種だったんです。そのことに気づくのに、時間が掛かり過ぎました。

取立てに苦しむ人がやるべきことは?

地獄のような取立てが、およそ1年続きました。

しかしちょうどその時代、こういった「取立て」は社会問題化し始めていたのです。

私には1人だけ、借金のことを相談できる友達がいました。彼女自身は借金などの経験はありませんが、私は借金あることや業者からの取立てについて彼女に相談しました。

すると、最後の手段ともいえるアドバイスをしてくれたのです。

それは「家族全員が自己破産をする」というものでした。

こうして、紹介された弁護士さんの元へ母と2人で行くことにしたのです。

弁護士さんは「自己破産は、人として間違っている行為です。けれども、今までの人生を反省してゼロからやり直す覚悟がある方にとっては、最良の選択です」と言いました。

この時、弁護士さんが親身に話を聞いてくれたので、私はようやくこれまでの重圧から開放された気がしましたし、母は泣いていました。

こうして私たちは、「破産した人は今後クレジットカード等を作れない」「国家資格を用いる職業に就くことは出来ない」などの制限があることを説明され、一人5万円の費用で自己破産手続きをすることになったのです。

自己破産は罪である

破産の手続きはまず、弁護士さんが間に入ったことをクレジット会社や消費者金融に通達するところから始まります。

とたんに全ての業者が自宅や勤務先に取立ては来なくなり、電話すらかかって来なくなります。

次に財産の全てをお金に変えます。父は会社を手放し、家を売りに出しました。(これは実質、家のローンを借りていた銀行から没収される形になりました)

家を売り、残ったローンは自己破産の対象になります。

母や私は財産がほぼない状態なので、延滞していた携帯電話の料金を含め、とにかく「支払い」と呼ばれる全てのものを弁護士さんに提出して、あとは裁判所からの連絡を待つことになりました。

家族の中で一番最初に裁判所から連絡があったのが私で、手続き開始から半年は過ぎていたと思います。一度弁護士の所に出向き、打ち合わせを行ってから、裁判所へ向かいました。

裁判所には自己破産を申し出た人たちが20人ほどいて、時間になると名前を呼ばれます。挙手をして「はい」と返事をし、立ち上がります。

これは本当に本当に恥ずかしくて、もう二度とこんな所に来るものか、と思いました。

ここでみんな、自己破産は罪であるということを心に刻まれるのです。

その後、半年ほどすると、弁護士さんを通じて、自己破産の許可が下りた通知書が渡され、手続きは完了しました。

見栄を張っていても大切なものは守れない

最初のキャッシングから4年。

どん底まで落ちて、ようやく自分たちがやってきたことに区切りをつけることが出来ました。今は借金もなく何の悩みもなく、家族全員穏やかな生活を送っています。

私は二度と借金はしません。たとえ家族のためであっても。

それが結局は、自分だけでなく周囲の人々も傷つけずに済むのです。

借金でどうしようもなくなった人は、恥を忍んででも自己破産を考えてみてください。見栄だけで大事なものは守れないのです。

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