更新日:2018/10/18
脱サラ起業、株・FXの失敗で350万円の借金!最後は実家を売却【体験談】
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評価を設定してください ×友人の仕事を手伝おうと会社を退職。新たな旅立ちのはずが、株式投資にハマって複数の借金を重ねてしまいます。
生命保険を解約し、健康保険や年金、相続税も滞納する始末。
家族にも打ち合えられずに、一人で借金を抱え込んだ体験談です。
体験者の情報
名前(仮名):鈴木 二郎
性別:男
職業:会社員
年齢:57
借入件数:3件
会社名(借入先):JCB、三菱UFJニコス、プロミス
利用時期:2006年2月~2010年6月
借金の合計額:350万円
会社を辞め、新事業に乗り出す
2005年、私は50歳を機に会社を辞め、知人の仕事を手伝い始めました。
それまでのサラリーマンの営業職に区切りをつけ、残りの人生は生きがい・やりがいを求めて生きようと思ったのです。
知人の仕事は食品関係の装置開発をしていて、関西にある協力会社と共同で穀類加工機の開発に取り組んでいました。
協力会社と知人はお互いの資金を出し合っています。
装置が完成した際には製造をこの会社へ全面依頼することを条件に、会社の工場も間借りさせてもらっていたのです。
東京の会社を辞めた私は、生活費としてこれまでに蓄えたすべてと退職金などを含めた約400万円を持ち、意気揚々と関西に乗り込みました。
当初はビジネスホテルに泊まっていましたが、装置完成にはしばらく時間がかかりそうでした。
そこで工場に泊まり込んでいた知人と2人で、家賃4万2,000円(水道料、管理費込、敷金なし)のワンルームアパートを借りることにしました。
一方、私の妻子は首都圏にある妻の実家で、妻の両親と同居して暮らしています。家賃を払う必要はありませんが、生活費の仕送りは必要です。
会社に勤めていた頃は、妻に生活費として毎月15万円を渡していました。
会社を辞めて一人で大阪へ来た私は無収入ですが、それでも手持ちの400万円の中から毎月15万円を妻に送金します。
ちなみに妻は正社員として働いているので、収入はありました。
ネットの株取引はまるでギャンブル
こうして関西で新しい仕事を始めたのですが、装置の開発は遅々として進みません。
新開発のため解決すべき課題が山積みで、こっちに来て半年が過ぎても完成の目処が立たないのです。
私の主な仕事は「装置完成後の販売」を担当することになっていて、技術的な議論には参加できるだけのスキルがありません。
それは知人に任せて、私のほうはアパートで待機する時間が多くなっていました。
そうした空き時間が、よくない考えを引き起こすんですね。
当時、小泉政権下において実施された郵政民営化の影響からか株価が上昇、それに伴いインターネットで株取引が手軽にできるようになりました。
以前から興味のあった私は、ネットを利用した株式取引を始めたのです。
「これで稼げば装置開発の仕事も余裕を持って取り組める」との甘い考えがありました。
まず、手軽に入れるマンションタイプの光回線を導入してネット環境を整え、証券会社に口座を開設します。
最初は10万円を入金して毎日短時間のうちに株を売買するデイトレードを恐る恐る行なっていたのですが、大きな損はしないが儲けもない状況が続いていました。
しかし、慣れてくるとやはり金銭感覚が麻痺してしまうのか、少しずつ取引金額が増えていきます。
それでも一向に儲かる気配がないので、次は上昇銘柄を予測して配信しているネット上の投資顧問(月1万円)に申し込んでみました。
しかしこれもまったく当てにならず、ほとんど儲かりません。
そんなことをしているうちに徐々にお金が無くなっていき、それを取り戻そうとさらに大きな金額を注ぎ込むことになってしまいました。
ギャンブルにのめり込む人の心理とまったく一緒です。
手元にあったお金がどんどん消えていっても、冷静さを失っている私は「次こそ絶対取り戻せる」ということしか考えられません。
「大きく負けたら大きく勝てば良い。無くなった金を取り戻すには株取引を続けるしかない」と思い込んでいたのです。
FXにも手を出し貯金が底をつく
2006年2月から株取引を始め、その後2007年7月末までの約1年半続けていましたが、実質的な取引期間は当初の3カ月ほどでした。
というのも、それ以降は購入銘柄が極端に値下がりし、売るに売れない状況にあったからです。
生活資金がなくなってきた時は、泣く泣く損切り(購入価格より低い価格で売ること)を行うためだけにパソコン操作を行なっていたのが実情でした。
ちなみに当時の株取引損益表をみると、2006年12月から2007年7月までの7カ月間の損益は約200万円のマイナスです。
それ以前にも損失があるので、トータルでは300万円も損をしているでしょう。
今思えば、自己資金の範囲で売買する現物取引だけを行い、証券会社の融資を受ける信用取引まで手を出さなかったことが唯一の救いです。
こうして振り返るとつくづく自分の愚かさを思い知らされますが、実はこれだけではありません。
どうやっても儲からない株取引を諦めた後、目先を変えて2006年8月からはFX(外国為替証拠金取引)なるものに手を出してしまったのです。
これも結論から記すと、トータルで50万円ほどの損失を出しました。
新しい仕事の目処が立たないことから何とか他で儲けようとして焦っていたのだと、今なら冷静に振り返れます。
本来、株取引というのは企業の将来性に投資するものです。それを勘違いして、一攫千金を狙う投機性の高い商取引として利用しようとしたのが間違いでした。
こうして、気づいたら数十万円しかなくなっていたのです。
東京の妻へ生活費は途切れずに送っていましたが、私の手持ち資金は底を突いてしまいました。
家族への送金のため数社でキャッシング
関西に来て株にはまる一方で、派遣会社に登録して倉庫内軽作業などの日雇いの仕事もしていました。
しかし日当6,000円程度の派遣の収入だけでは、東京の家族への仕送りまではとても無理です。
そこで、元々持っていたUFJニコスカードで初めてカードローンを利用して借り入れました。金額は80万円です。
JCBとプロミスからもそれぞれ30万円と50万円を借り入れ、こっちで借りた金をあっちへ返すという綱渡りの状態となりました。
一方、装置のほうは相変わらず完成にはほど遠い状態でした。
当分は、他の仕事をして収入を得るしかありません。
安定収入を確保するため、私は派遣会社に紹介された電化製品の組立工場の仕事に就きました。しかし安定収入といっても残業代を含めて17万円前後です。
協力企業が突然、撤退
組立工場で働いて3カ月目に入った頃でした。
知人と共同開発していた協力会社が、開発期間が長引いたことによる資金難に加え、技術的課題が解決できないと判断し、撤退を申し出てきたのです。
その企業自体、若い技術者3人が協同出資して独立したばかりのベンチャー企業でした。
安定した取引先もなく、彼らもまた知人の新型装置に期待する形で共同開発を受け入れていたわけです。
柱となる事業がない中で行う開発が大きな負担となって、経営を圧迫していたのでした。
結局、彼らは事業の解散を決め、我々は完成途中の装置とともに、突然、関西の見知らぬ土地に放り出されます。
新しい協力会社を見つけなければならなくなった我々は慌てました。私も知人も、生活拠点は関東にあります。
そもそも関西の協力会社とは取引先の紹介により話がまとまっただけだったので、関西にこだわる理由はありません。
そこで私と知人は東京で新しく開発に協力してくれる会社を何とか見つけました。こうして私は1年ぶりに東京へ戻ることになったのです。
保険料を減額し、生命保険も解約するまでに
しかし、私は依然として借金を返済する生活でした。
東京に戻ってきてからも、私は倉庫内作業や食品工場、引越し作業など日替わりでこなす日雇い派遣に就いていました。収入は月15万円あれば良い方です。
その中から、80万円のカードローンの毎月の返済額約2万1,000円と1万円(JCB 30万円借り入れ分の返済金)の計約3万円を返済に充てていました。
私と知人は装置の開発を続けますが、当分は収入がまったく入ってきません。
生活費は必要ですが、かといってどこかに正社員として就職してしまうと、装置の開発ができなくなります。
月に数回、装置の組み立て作業に行かなければならないので、その日は休める職種...となると、まともな収入は得られませんが、日雇い派遣しかありません。
とうとう生活が苦しくなり、国民健康保険料の減額申請をしました。健康保険は前年の納税額を基準に決められていますが、今の私はとても払える状態ではありません。
軽減制度の存在は市役所のホームページで知っていましたので、とにかく行って相談したわけです。
現在の収入状況をA4用紙1枚にまとめて市長宛に提出した結果、減額(軽減)が認められました。
はっきりとした数字の記録はありませんが、当初の請求額約5万円が1万5,000円程度になったと記憶しています。
一方で、最大2年の猶予がある国民年金は毎月滞納せざるを得ませんでした。
またその頃には、第一生命保険の融資枠を利用して200万円を借り入れています。
この保険は毎月2万円の掛金で65歳満期時に600万円を受け取ることができる高配当の商品でした。5年前に亡くなった母が生前まで支払ってくれていたものです。
しかしその生命保険も結局しばらくして解約し、借り入れた200万円を精算した後、返戻金として約40万円を受け取りました。しかし、すべて生活費と借金返済に消えていきました。
借金のことは家族には秘密
一連の私の窮状について、開発が軌道に乗らないこと以外は、妻にも妻の両親にも一切話していませんでした。
ただし、関西にいた期間、毎月の生活費の送金15万円を10万円に減額してもらったり、送金が遅れたことはあります。
正社員を続けていた妻の支えがなければ、家族の生活は成り立たない状況でした。それもあって、家族関係はギクシャクしていました。
ある時、いつまでも派遣や警備員でアルバイト的に働く私に対し「プライドはないのか」「世間体は考えないのか」と妻の両親から罵倒されたことがあります。
私は思わず「プライドを持って生きている」と怒鳴り返しました。
多額の借金を背負うような状況を自分で作っておいて、人としてのプライド云々を持ち出すのもどうかとは思います。
しかし、当時は日雇い派遣が社会問題化し始めていました。
過酷な労働環境を実際に体験していた私は、みんな好き好んでではなく、事情があって日雇い派遣で働いているのだと身を持って知っていたのです。
妻の両親にとっては自分の娘と孫を心配するあまり出た言葉なのでしょうが、偏った職業観とか世間的な見栄を基準に人格を否定されるような暴言を吐かれ、私もつい怒りをぶつけてしまいました。
返済額を抑え、さらに借金が膨らむ
そうこうしているうちに、借金をしてから2年、ついに破綻の日が訪れたのです。
それまで支払いが一度も遅れたことはなかったのですが、もうどうやっても払えない状況になり、2008年1月に初めて滞納をしました。
すると三菱UFJニコスから、同月分のカード利用代金71万7,541円の分割払い金、6万4,038円が引き落とせない旨の郵送連絡が来ます。
「1週間以内に入金してほしい」という督促と、「これが不履行だった場合は残高一括請求する」ということ、「支払いが困難な場合は連絡してほしい」という内容です。
私は翌日、カード会社に電話しました。
債務額は2社のトータルで291万8,121円です。
最終的には余裕のある月に余分に払うことを前提に、月々の支払いを減額してもらうことになりました。
そして毎月の金額としてJCB(債権者は三菱UFJニコス)に1万円、三菱UFJニコスに2万円を返済していくことになったのです。
その後、九州にいる私の父に相談し約100万円を援助してもらって、三菱UFJニコスへ約80万円を支払います。よって残りの債務額は214万144円になりました。
妻と妻の実家には相談できなかった私ですが、実の父には泣きついてしまいまったのです。
その後、2社との間に改めて債務弁済契約を交わし、返済計画表に従い2008年4月に返済を開始します。その内容は以下の通りです。
三菱UFJニコス
債務合計額 139万9055円
(未払元本135万491円+利息手数料4万8564円、損害遅延金0円)
返済額 月2万円(99回)
返済完了 2016年6月
99回のうち債務合計の139万9055円は70回で返済終了となりますが、残りの29回は経過利息分合計56万7850円の分割返済期間となります。
結局のところ返済義務を怠った結果、56万7850円を余計に払わなければならなくなったことになります。
JCB(債権者は三菱UFJニコス)
債務合計 74万1089円
(未払元本70万3512円+利息手数料3万7577円、損害遅延金0円)
返済額 月1万円(107回)
返済完了 2017年2月
経過利息合計は32万7228円で、76回以降の支払いに相当します。つまり2社合計で80万円近くを、余分に支払うことになってしまったのです。
この契約時に、弁護士が間に入ると支払い総額が5%程度安くなるかもしれないと聞いて、東京都内の弁護士に頼みに行きました。
しかし引き受ける条件として、「借金の内容をご家族にすべて話してください」と言われたので、結局は依頼することを諦めたのです。
でも例え安くなっても、その分弁護士費用がかかるわけですから、プラスマイナスであまり変わらなかったでしょう。
実家を売却して借金を完済
債務返済が始まって半年後、九州で一人暮らししていた私の父が病気で倒れ、その後亡くなりました。
しかし父の死後、しばらくは実家を処分できなかったことから、相続による不動産取得税21万6,200円が新たな負担となって加わり、これも滞納してしまいます。
そちらも役所に相談して分割にしてもらっていましたが、1年が経過していよいよ分割も難しくなり、実家は差し押さえされそうになってしまったのです。
その時に運良く買い手が見つかり、不動産取得税は完納することができました。
そしてこの実家を処分した遺産金によって、抱えていたすべての借金までも返済することができたのです。
私は借金のことを父には相談しましたが、妻には相談しませんでした。
債務弁済契約を交わす際も、連帯保証人がいらないため、家族へ説明する必要はありません。
しかし持ち家の名義人など、家族に関する質問もあります。(妻の実家の家は妻の名義でした)
また返済が滞った時点で、利息の一括返済を求める条項が債務弁済契約書には書いてあり、もしそうなれば連帯保証人が必要になるのです。
しかしそういう状況になってから初めて家族に打ち明けるよりは、もっと早い段階で相談すべきでしょう。
債務者一人で抱え込んでしまうと、精神的に追い込まれていきます。家族に隠していて良いことは一つもありませんでした。
でも私が借金を抱えていたことは、今だに家族には秘密です。
「少々借金をした」ぐらいは伝えましたが、数百万円もあったとは正直に言いづらいというのが本音ですね。
そもそも借金を作らないよう、計画的に人生設計を立てることが大切だと、身に染みて感じているところです。
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創作