左遷から競馬にはまり、800万の借金。最後が親戚の助けで返済した体験談

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私はかつて、理不尽な異動により仕事へのやる気を失くし、ストレスを発散させる為にどっぷりと競馬にはまってしまいました。

それがエスカレートして、競馬資金の為に借金をするようになってしまったのです。借金はみるみるうちに膨らみ、結果800万円近くにのぼりました。

今回はそのときのことについてお話します。

体験者の情報

名前(仮名):山田 三郎
性別:男
会社名(借入先):武富士、アイフル、アイク、JA、信金、UC、JCB、銀行、その他
利用時期:1990年代
借り入れ合計金額:849万円

仕事と家庭一筋の平凡な生活

30歳既婚男の人生は家庭と仕事一筋です。自分は、残業、休日出勤と毎日忙しい生活をしていました。

たまに会社の懇親会で、2次会費と合わせて1万円を超えるお金を使います。そんな時は小言をいわれながらも、妻にお小遣いの増額をしてもらいました。

自宅の近くには競馬場や競輪場があり、本当にまれに数百円購入することもありましたが、「競馬はお金を失うもの」との感覚があったので、夢中になることはありませんでした。

40歳になる頃には、数百万円程度の預金ができました。

転勤族だったので、マイホームを持つのは退職後と考えていましたが、マイホームブームに乗って、自分もついに家を持つことになりました。

もちろん、親からの多額の援助があって実現したものです。

自分の返済能力一杯のローンを使い、加えて親の援助もあって43歳の時にマイホームを持つことができました。

理不尽な異動

「マイホームを建てた時は、魔が差すから気を付けなさい」という言い伝えがあります。自分も結果的にはマイホームを持った直後から人生が一転しました。

ある日、上司から見に覚えのないことで激しい叱責を受け、そのせいで年度末に現場に転勤になりました。

現場の№2のポストでしたし、現場長の方針のもと誠実に仕事に向かっていましたが、その現場からも1年で出向に出されました。

この出向で私はサラリーマンとしてのプライドが傷付けられました。

昇職は望まないまでも仕事には誇りを持って臨んでいました。出向はこのプライドを踏みにじるような処遇でした。

大きな落胆と共に、それから立ち上がる気持ちもありませんでした。出向は大きく収入が減るので、マイホームローンの返済が苦しくなりだしました。

競馬にハマり徐々に借金を重ねる

出向先会社ではただ与えられた仕事をするだけです。仕事に対する熱意はすっかり失せていました。

最初の1年は本社勤務でしたが、2年目には出向先会社の事業所で仕事をすることになりました。

出向会社は出向前の会社の下請け会社で、転職者、アルバイトなどの社員が大部分です。単純作業をする作業員達ですが、実に愉快な連中ばかりでした。

仲間で数百円の馬券を購入して、月曜日はその馬券の当たり・外れでワイワイガヤガヤと大騒ぎです。実に他愛のない社員達です。

仕事に対する熱意は失せましたが、この人達と付き合うことによって傷心の気持を紛らわせました。

観楓会の時に、ついに馬券購入の仲間に入りました。
各人が500円を出資し、皆で当たり馬券を予想して馬券を購入しました。その予想が当たった時に払戻金を仲間で山分けするルールです。

実に楽しい仲間です。それが縁で馬券場に足を運ぶことになりました。

馬券場には職場の仲間も来ていて、既に場所を確保してくれる仲間もいました。出向会社の仕事は暇ですし、毎日曜日に馬券場に行くことが楽しくなりました。

従来の仕事をしていれば、こんな遊びに気を回す余裕も時間もなく、仕事と家庭があるばかりでしたが出向が人生を一変させました。

自分の心に隙ができて、そこに馬券場通い生活が入り、やがてサラ金生活に落ちていったのでした。

この先は、お決まりのコースです。
競馬で蔵が立つ訳はありません。少ない小使いで馬券を買い続けられる訳はありません。

いとも簡単にサラ金カードを使って資金を作った次第です。

最初は、数千円の所持金がゼロになり、馬券場からサラ金のATM機に直行です。最低、1万円は引き出しました。

この回数が徐々に増えて、10万円、20万円と瞬く間に借入額が増加しました。

武富士のカードの限度額は50万円でした。競馬での借入額が限度額に達した頃、「限度額増額キャンペーン」がチラシ、広告で見られるようになり増額申し込みをしました。

いとも簡単に増額され、限度額契約は100万円になりました

50万円以下ならば、自力で返済できる範囲と考えていましたが、それを超えることは返済能力を超える額で、平常心で考えれば脂汗の出るようなことでした。

それでも、一旦競馬場に行くと、勝つことだけが全ての不安を解消してくれる、と自ら思い込んで、借入額増加への不安は麻痺してしまいました。

借金が400万円を超える

限度額が100万円に接近してくると、自力での返済は諦めようという心境になりました。

「10年後は退職金が入る。返済はその時だ。」と今にして思えばとんでもない安易な気持ちでした。

頭の中は、ただお金を作ることで一杯になり、すぐに2社目のカードを作ることにしました。

源泉徴収証明書を添えて、申込書に勤務会社、勤続年数、自宅・会社の住所など記載すると簡単に契約ができました。

限度額は、最初は50万円ですが、これも一定の期間が過ぎると簡単に100万円に増額できました

サラ金カードは4社目まで苦労せず契約できました。

サラ金カードを作ることに、精神的に何の抵抗も感じなくなりました。むしろ借りるテクニックが身に着いたぐらいです。

年収の2分の1までは返済能力があると判断されていることが推定できました。

返済期限には必ず返済するから、サラ金会社への信用度も問題なし、との確信めいたものも持ち始めました。

借りてはその金で前回の返済をするという自転車操業です

このようにし4社で約400万円の借入をしてしまいました。自力ではとても返済できないことは自覚していました。

早期に、大事に至らぬ前に返済できる方法は競馬に勝つことだけでした。

競馬で長期的に勝つことはあり得ないのですが、その時は夢中です。

一時は、1番から3番人気までの単勝馬券を各1万円の計3万円購入し、かつ連複の穴馬券を数千円購入しました。1レースの購入資金は約4万円です。

この方法は大負けしませんでした。
単勝といえども、結構な確率で10万円前後の払戻がありました。そして稀に1千円の連複が当たり、50万円の払戻金がありました。

この方法を続けていれば、こんなに短期間に400万円もの借入をしなくても済んだはずでした。

しかし100万円を超えると、我慢ができず無理をして結局は大きな負けをしてしまいました。

返済することよりも、家族にバレないようにすることに苦心しました。

サラ金から借りたのは、絶対に家族、会社に連絡をしないことの約束があったからです。サラ金会社はその約束を守ってくれました。

問題は自分自ら、返済遅延などの問題を起こして、サラ金会社とトラブルを起こさないことでした。それがなければ、サラ金会社は家族への秘密を守ってくれました。

しかし、徐々に借入額が膨らみ、絶えず、次の借入先を見つけるための悪知恵を働かせる事態に追い込まれました。

融資先を捻出する苦労が続きました。

ある時、会社の取引銀行の行員が、カードローンを作りませんかとパンフレットをくれました。「申し込んで、作成されたカードは会社に持参してくれますか」と尋ねたところ、そうしますとのことでした。

借入限度額200万円、金利は3%、新規通帳も会社に持ってきてくれるとのことでした。これで、新たな融資先が見つかりました。

これでしばらくは自転車操業の資金はできましたが、徐々に底がつき、その次に手を出したのはクレジット会社のキャッシュローンです。

これは以前からカードを持っていましたが、キャッシュローンは使用しないと決めていたのに手を出してしまいました。

家族、親戚を巻き込んだ大騒動

借入額は、サラ金4社、クレジット会社2社、銀行系キャッシュカード3社から合計800万円に膨れ上がっていました。

その時は、退職金で整理するしかないと覚悟していました。

それまでは、何とか家族に内緒で、借りては返済するという繋ぎの方法で時間を稼ごうと考えていました。

ですから融資会社とのトラブルは一切ありませんでした。融資会社にとっては優良利用者だったと思います。

しかし、ついに妻に発覚してしまいました。

妻は、不審な電話を受けるようになりました。また、サラ金業者からの売り込みのチラシがたくさん入るようになりました。変だなと妻は感じ始めたようです。

また、クレジット会社からの、本人在宅確認の電話を妻が何回か受けました。この時になると、妻は「何か隠していないか」と問うようになっていました。

クレジット会社に対して、何回か返済遅延を発生させていたので、その連絡のために自宅に電話が入ったのです。

これだけ多くの所からお金を借り、毎月迫る返済に、サラ金会社に対しては「絶対に返済遅延はできない」と信念を持って対応していましたが、クレジット会社には少し甘い気持ちがあり、つい返済遅延をしてしまったのでした。

しかし、クレジット会社も本人以外には用件を話すことはしませんでした。

妻から、変な電話やチラシが入ると言われるようになりました。その度に、「何もない」と否定し続けていました。

しかしついに、クレジット会社から返済遅延の督促状が届きました。

それを見て、妻は私の机や引き出しを探し、クレジットカード、サラ金カードを見つけて自分に突き出しました。

「これは何なの?総額いくら借りているの?」と詰め寄られました。

出されたカードを見て、適当に500万円程度かなと答えました。

妻はびっくり仰天し、子供に向かって、大変な事態だとすがるように話しました。息子は泣きながら「お父さん、どうしてそんなことをしたの」と泣きわめきます。

娘は、学校の旅行計画で海外の研修旅行に出発直前でしたが、「即座に不参加を伝えて、参加料を返金してもらう手続きをした」と妻に聞かされました。

そして、妻は自分の親にこの状況を話したようです。また、私の親には強い抗議の電話をしたらしいです。「あなたの息子はとんでもないことをした。親として後始末をして下さい、さもなければ離婚します」と告げたらしいです。

やむをえず、父親にお金を工面してくれるように懇願したところ、「そんな大金はない。最大でも100百万円程度しか用意できない。それと、(妻の)親戚の弁護士に相談しなさい」と言われました。

この件が一件落着した後に、当時を振り返ると次のようなことがあったのだと想像しました。

妻と妻の親、そして親同士、さらに妻と自分の親との話し合いが繰り返され、「何故、大金を使ったのか?」、「女が居て、その女に貢いだのでは?」、「離婚させた方が良い」、「お金を出し合って借金から助けられないか?」、「借金の返済でも、離婚でも、一度弁護士に相談させるべきだ」、等の話合いがあったのではないかと。

妻の親戚の弁護士に相談することはすなわち、「お金を貸して下さいと懇願に行きなさい」と言う意味なのか、それとも「法律的な対応策を相談してみなさい」との意味なのか?両方が想定されました。

自分は「お金を貸して下さい」という「懇願の気持」は全くありませんでした。

しかし「法律的アドバイスを受けるのはやぶさかでない」と考えて、妻に連絡してもらい、相談に行くことにしました。

「彼はまたサラ金に手を出す」という予言

弁護士事務所に妻と二人で尋ねて行くと、穏やかに、「借り入れているすべてを教えて下さい」と言われたので、正直にすべてを伝えました。

事前に指示のあったローンカードや、サラ金カードも見せました。それを見て弁護士は要点をメモしました。

弁護士は「どうして欲しいのですか?」と尋ねたので、「退職金などで自力返済します。」と答えました。

それ以上、弁護士は話を進めませんでした。

それから数日後、妻の両親が来て、「あなたのお父さんが100万円、自分の長男が100万円、そして自分達は600万円を用意しました。これですべて返済して、2度とこんなことはしないで下さい。そして、退職した時に返済して下さい」

そしてさらに、「あなたを信じますから」と言い、お金を貸してくれました。

自分は借用証書を作成して、「必ずお返しします。本当にありがとうございます。」と何度も頭を下げて、感謝の気持ちを精一杯にあらわしました。

このお金を持った妻は「自分の目の前で返済しなさい」と言って、各サラ金会社のATM機の前で現金を渡してくれて、残金を返済しました。返済した会社のカードは妻が、目の前で鋏を入れました。

妻は何度も「こんな恥ずかしいこと」「二度として欲しくない、絶対にこれきり」と道すがら何度も繰り返しました。又、銀行のローンは妻が自ら返済し、そのカードも妻に預けました。

期日が迫るたびに、返済額の資金調達のために悪知恵を働かせるという心の闇から、久々に解放されて身軽な気分になりました。毎月の小遣いも余裕に思えるほどでした。

しかしながら、出向に出された屈辱的な状態はなおも心に重く留まっていました。

あの弁護士は「彼は再びサラ金に手を出す」と妻の姉夫婦に言ったそうです。その眼力の通り、この後、自分は再びサラ金に手を出すことになりました。

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