自己破産の免責がおりるまでの時間は不安でたまりませんでした

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裁判所から帰宅して、すぐに「免責」がおりなかった場合、どうなってしまうのか具体的に調べてみることにしました。

本当に1円も返せる余裕が無く、不安で不安でたまらなかったのです。と言っても携帯電話のサイトで調べることしかできず、どんなに調べてみても納得のいく答えはみつけられませんでした。

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>>>生活費の足しにキャッシングを繰り返し、夫と離婚した私の話

この記事のアドバイザー情報

  • 簾内 侑佳ファイナンシャルプランナー

    大赤字の家計と経済的な不安を経験したことから、FP資格を取得。現在は3児を育てながら、保険代理店でお客様の目線に合わせたアドバイスを行っています。2級FP技能士、損害保険協会認定損害保険プランナーなど。

残る不安

義父と実母にも相談してみました。

裁判所で言われたこと全てを話し、そのうえで「それでもあなたはこの借金を返していきなさい」と言われたら、私はどうすればいいのだろう?と。

もしそうなったら出産後、まずすぐに子供の預け先を確保しなくてはなりません。(実母も仕事をしていましたので子供を預けることはできません。)

保育園を探し、そこへ預け入れ、その後すぐに今度は勤務先を見つけなければなりません。

それまでに半年かかったとして、その後、給料が出たとしても、きっと生活費にも満たないくらいの稼ぎにしかならないのは目に見えています。

生活の目途は?

生活保護の申請は通っていました

うまく勤務先が見つかっても、生活費の足りない分を生活保護で補ってもらうのです。

でも、はたしてそのお金を借金返済に充てていいのだろうか...。

昼も夜も子供を預けて働けば、生活保護を受けなくてよくなるかもしれませんが、小さい子供がいれば急に病気になったり、具合が悪くなったりして嫌でも仕事を休まなければならない時もあります。そうなれば収入は不安定になります・・・。

考えれば考えるほど不安が募りました。

ですが、まだ決まっていないことに不安ばかり募らせても仕方がありません。今はただ、子供を無事に出産することが一番だと実母に言われ、あまり考えないようにしました。

そして出産!

それからすぐ、私は無事に長男を出産しました。その時ばかりは借金のことを忘れ、子供を出産した喜びに浸りました。

その後は退院、自宅に戻り、家族3人での生活が始まったのです。

ただ、常に頭の隅に「借金問題」はありました。裁判所から結果が来る日が近くなるにつれ、いつも郵便が届く時間帯に郵便受けを見に行ったりもしていました。

毎日、毎日、「どうか免責がおりますように」と心の中で祈る毎日でした。

やっと来た!裁判所からの通知

そして、出産から約2ヶ月半後の私の誕生日でした。裁判所から郵便物がとどいたのです。

私は急いで封を開けました。早く結果が知りたくて、封筒の上を手で破いたほどです。

裁判所からの結果は・・・

免責がおりました」でした。

私は「うわーっ」と声を出して床に座り込みました。今回は、もうどうしようもなく、借金を返したくても返せない状況ということで責任を免れたのです。

これから、自分と子供2人の生活をしっかり自立させ、頑張っていきなさい。」そう言われた気がしました。

そして、ずっと私のことを心配してくれていた義父と実母にも知らせました。

やっと安心できた...

借金の返済を免れたということで、私は前向きな気持ちになることができました。

返済で頭を悩ませなくていいと思ったら、早く保育園をみつけ、就職を見つけ、しっかり自分のお給料を稼いで子供達と安定した生活を送りたい!そう思ったのです。

すぐにはできないので、時間はかかるかもしれません。しかも、これからしばらくはローンも組めず、クレジットカードも作れません。

何がなんでも現金で生活するしかないのです。

カードがあれば、困った時にすぐそれに頼ってしまいます。もう、そんな甘えた自分は嫌です。

借金の返済義務がなくなったことが、私にとっては「新しい生活のための第一歩」のような気がしました。

ただ、「破産者」ということは決して忘れてはいけない。それだけは胸にしっかり置き、反省していかなければと気持ちも引き締まりました。

その後の生活

破産してから、私の環境は変わりました。

免責がおりてホッとしたのも束の間...実母がガンに侵されていたことが判明。自営業で生活していた義父と実母ですが、病気の為に生活も厳しくなりました。

もう親には迷惑をかけられないと思い、(生活保護の許可もおりたので)近所に借りた小さなアパートで子供と3人、自立を目的とした生活を始めました。

「生まれたばかりのお子さんが1歳になるまでは無理をしないでゆっくり考えましょう。」と市の職員の方や民生委員の方に励まされ、生活保護の受給を受けながら1年間生活しました。

昔と変わったこと

生活保護を受けながら生活しているうちに、自分で「変わったな」と思ったことがあります。

それは、「物欲が無くなった」ことです。以前も無駄なものを衝動買いするような癖はありませんでしたが、必要な物はとりあえず何でも買ってしまっていました。

今はモノを買う前に、「本当に今必要か?」と自問自答し、どうしてもすぐ必要なら買うようにしています。

その癖がついたのか、「ものが欲しい」という気持ちは昔よりなくなりました。

そもそも、欲しい物があっても手元に現金が無いと買えません

保護の受給は受けられるものの、必要最低限な生活費をいただいて生活するわけですから、常にギリギリです。

電気代や水道代、食費を切り詰めなければ必要な子供の服も買えません。

しかし、暮らしていくうちにこういう生活も悪くないと思いました。住むところがあって、子供と一緒に居ることができて、ご飯が食べられる。それだけで十分です。

街で可愛い子供服を見ると「いいな~」と思うことはありましたが、自分の物は10年経った今でもあまり欲しいと思うことはありません。

自立へ向かって

1年経って、子供を市の保育園にいれることができました。いよいよ私も就職活動を始め、なんとか無事に決まり、毎日忙しい日々を送っていました。

その頃はまだ私が働いたお給料だけでは生活することができなかったので、足りない分を保護で受給していましたが、確実に自立した生活に向かっているのだと思えましたし、毎日が充実していて楽しかったです。

そういえば、一度、訪問販売でミシンを買いませんか?と訪問されたことがあります。

確かに子供がいるとあると便利だなと思いましたが、価格が30万ほどでローンを組まないとなりませんでした。

「ローンは組めませんので」と断ると、審査だけでもといわれ、あまりの押しの強さに審査だけしてもらうことにしました。

案の定、ローンの審査は通りませんでした。(詳しいことはミシン業者でもわからなかったようですが・・・)

後々、ミシンはそんなに高額でなくとも便利な物が買えるということを知り、ローンが通らない身で逆に良かったと思いました。

簾内 侑佳(ファイナンシャルプランナー)

デビットカードについて

自己破産をすると、信用情報機関に事故情報として5年間(最長10年間)記録が残ります。その間は新たなローンを組んだり、クレジットカードなどを新しく作ることができなくなります。

しかし、口座残高から即時に決済ができる「デビットカード」には審査なしで作れるものもあります。カード決済が必要なときや現金を持ち合わせていないときの支払時に便利です。また、口座残高以上の利用ができないため、クレジットカードのように使いすぎる心配もありません。

簾内 侑佳(ファイナンシャルプランナー)

最後に、今思うこと

ギャンブルやブランドものなどの魅力に取りつかれ、気づいたら借金を背負っていたという話はよく聞きますが、最近は本当に生活費が足りなくて消費者金融から借りる人も多いのだと思います。

もちろんみんな最初は返すつもりで借りるのですが、借りては返してを繰り返している内に、だんだん借金が膨らんでしまうのではないでしょうか?

もう自力で返すのが難しいと思ったら、借金で借金を返すようになる前に、はやめにまわりの人や専門家に相談しましょう!(特に専門家に相談した場合は)何らかの打開策が見つかると思います!

最近は無料でプロに相談できる機関が多くありますので、そちらをぜひ利用してみて下さい。

ひとりで抱えこんでも、借金額が膨らむだけです!自分もまわりのひとも不幸にしてしまいかねません。

私は今回、それを身をもって実感しました。

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