ついに免責許可がおり、自己破産完了!さらなる試練のはじまり

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この体験談について

夫と義父の失業をきっかけに家族で起こした会社。その資金繰りのために私は多額の借金を背負ってしまいました。結果的に私も夫も自己破産することになったのですが、私は借金や義父母のプレッシャーによりうつ病になってしまったのです。結局、病気のせいで夫とも離婚し、母子家庭で生活保護を受けることに・・・。今回は、そのときの様子を体験談形式でお伝えしたいと思います。

前回のあらすじ

ついに自己破産をすることとなりました。
様々な書類などの手続きを終え、裁判所での面談も終え、あとは審査に通るかどうか、結果を待つだけです。

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多額の借金を抱えて自己破産!ストレスでうつにもなった私の壮絶人生

無事通った審査

裁判所での面談の後、帰宅してすぐに主人へ電話で報告しました。主人は「審査は通るのか?」と心配していましたが、私は「弁護士先生にお願いしたんだから大丈夫でしょう。」と言い電話を切りました。

それから待つこと2ヶ月ぐらい。
ようやく弁護士先生から連絡がきました。

「森村さん、審査が通りましたよ。○月×日、午前○時にこの間の裁判所に来てください。今度は10分ぐらい前に来ていただければ結構ですから・・・」

「ありがとうございます。では当日に・・・宜しくお願いします。」
審査が通った、つまり「免責許可がおりた」という連絡でした。

二度目の裁判所。自己破産の完了!

約束した当日。
先日と同じ地方裁判所に着き、中の控室へ行くと先生が待っていました。

「おはようございます。免責許可がおりる方全員が1つの部屋へ入りますから・・・」

そう言って案内された所はとても広くて、パイプ椅子がたくさん並んである部屋でした。

私達の他にも2人組がたくさんいます。
ざっと数えると10組は居たと思います。
先生の指示に従い着席しました。

すると先生は、

「森村さんの名前が呼ばれますから、呼ばれたら返事をして前へ出て書面をもらいます。もらったら、そのまま前方左手の出口から出ますよ。」

と言われ私はうなずきました。

少しすると、私達が出る前方左手から3名の裁判官が入ってきました。前には椅子と机が3名分あり、そこへ着席され、かなりの枚数の書類を整理していました。

その数分後、名前が呼ばれ始めました。

3、4人目に「森村凛子。」そう呼ばれ、返事をし、先生の指示通り前へ出て行きました。すると、裁判官の1人が先生に書類を渡し、裁判官に深くお辞儀をし、退室。

先生は、
おめでとう森村さん。これでやっと終わりましたよ。
といってくれました。

「先生、色々とありがとうございました。」
やっと終わりだと思った私。

ところが...

「森村さん、自己破産はこれで終わりましたが、成功報酬の部分のお話がありますので明日、私の事務所まで来て下さい。」

やっと終わったと思っていたのもつかの間。
最後にまだお金の話が残っていました^^;

「では、明日お伺いします。」
こうして自宅に戻り、また主人に電話をしました。

「終わりました。無事に・・・でも、先生が成功報酬の話があるから・・・っていうので明日事務所へ行ってきます。成功報酬は一括で払えないから、分割でお支払いって事でいいよね?」

そう言う私に、

分割にするとまた毎月払わなきゃいけないんだから一括で払った方がいい。50万円は用意しておいたから、振込みにでもしてくればいいよ。

という主人。

少し前に30万円を払ったばかりで、また50万円なんて揃うはずはないんですが、主人が何とかしてきてくれたようでしたので、

「わかりました。振込みにしてもらいます。」

と返事をし、電話を切りました。

翌日、先生の事務所へ行き、成功報酬をどの様に支払うかという話が始まりました。

「大変だと思いますので、最悪分割でもいいですよ。」
と先生に言われたのですが、主人に言われた通り、

「一括でお支払いします。出来れば近日中にお振込みしたいので、お振込み先を教えて下さい。」

少し驚かれていた先生から振込み先が書かれた紙面をもらい、

「本当にありがとうございました。お振込みしましたらお電話致しますので・・・」

深く頭を下げ、先生の事務所を後にしました。

その日の夜、主人がインターネット上で振込みを済ませてくれた様で、主人から連絡があったのは翌朝の事でした。

その後、弁護士事務所が開くのを待って電話をしたところ、既に入金が確認されており、

「迅速なお振込みありがとうございます。色々と大変かとは思いますが、頑張って下さい。」と言われ、

「お世話になりました。先生もお元気で・・・」と電話を切りました。

本当に全てが終わった時でした。

お世話になった弁護士先生、夫、子供、両親への感謝

このときお世話になった弁護士の先生には、本当に感謝しています。

最初は、先生と話せば話すほど傷口に塩を塗られる様な痛みや辛さを感じ、「この人は鬼だ!!」なんて思っていましたが、自己破産というものがどれだけ大変なものなのかわかると、先生は私のために厳しく接して下さったのだなと思えるようになりました。

そして、言うまでもありませんが、主人にも、この間に子供の面倒を見てくれた両親と祖母にも深く感謝しています。

子供だって、電話でいつも「お母さん」と言って私を頑張らせてくれたのだからもちろん。

みんなには本当に感謝してもしきれないと今でも思っています。
ただ、ここからが再び試練の始まりだったのですが・・・

主人も自己破産をすることに・・・!

私が自己破産をしてから約半年後、ついに主人まで自己破産をする事になりました。

主人の自己破産も、私がお願いした弁護士先生であれば話が早い。という事で、先生に話しに行き、お願いしました。

主人の場合、持ち家の3分の1の名義を所有しておりましたので当然ながら家を処分しなければなりませんでした。

これが本当に大変だったと、後から聞かされました。

私は1人暮らしを始めていましたから、どの様に主人が義父母に話をしたかわかりませんが、かなり勇気がいったと思いますし、やっと手に入れた家を手放さなければならない主人の心情は穏やかではなかったと思います。

義父母は、自分達の生活が危ういと「お金貰わないと生活出来ないよ!」と言うだけで、本当に何も知らずにいたのでパニック状態に陥ったのではないかと思われます。

主人の自己破産は、私の時よりももっと時間がかかりました。

先ほど少し触れましたが、持ち家を処分するという事は住む場所が無くなるということですし、会社の存続に関しても考えなければなりませんでした。

まず初めに、持ち家を処分する前に転居先を決め引越しをしました。
主人は今まで義父母と同じ屋根の下で生活をしていたから、私がうつ病になってしまったと考え、転居先は義父母とは別にしました。

そして、一旦全てを精算した方が良いとも考え、会社も一度たたむ事にしたのですが、そこがまた大きな問題となってしまったのです。

当時、主人は38歳だったので働き口はたくさんありました。ところが、義父は60歳を超えていましたので働き口がありませんでした。

となると、義父母の生活費というのは、義母の内職分だけとなります。

1ヶ月4~6万円にしかならない内職で、家賃・光熱費・食費・・・なんて払える訳がありません。

義父母は、持ち家の売却に関しては致し方ないと思ったようでしたが、転居先が主人と別になることに関してはなかなか納得せず、時間をかけて説得を重ね、ようやくそれぞれの転居先が決まりました。

その間約2ヶ月でした。
最終的には、義父母には生活保護を受けてもらい、義父の働き口が見つかり次第、生活保護はやめる、という事になったのです。

持ち家を処分したお金で転居先の敷金・礼金にあて、残ったお金で仕入れ先への支払いを済ませました。

後は弁護士先生への着手金と成功報酬という事で、なくなってしまいました。

ちなみに、主人の自己破産額は約700万円で、弁護士先生にお支払いする金額は下記のとおりでした。

着手金:30万円
成功報酬:40万円

主人は私ほど借入件数も借入金額も多くなかったので、費用も私より少なかったのだと聞いています。

そして会社に関しては、支払いが残っている状態での倒産だと、弁護士先生の他に管財人な必要なため、さらに費用がかさむのですが、今回は会社に関する支払いは全て精算した上での破産なので、管財人は入れずに廃業届を提出するだけで済みました。

その後、所有していた自動車も売却し、私と同じ自己破産の流れを辿り、主人も無事に免責がおりました

病気を治すために、一人暮らしを続けることに

主人の自己破産から数週間後の事です。
主人から、「一度これからの事を話し合おう。」と言われ、2人で会いました。

その頃の私といえば、相変わらず薬漬けでいつもモウロウとしていて、主人と話をしていても気付けば眠ってしまっている状態でした。

そんな私に主人は、「そろそろ家へ戻れないかなぁ?親父もお袋も居ないから・・・」と言ってくれたのですが、私はまともに話が出来る状態ではなくなってしまったため、また改めて話し合う事になりました。

数日後、私の通院の日がやってきたので病院へ行き、主人に言われた事を先生に話しました。

先生からは「お姑さんの転居先と、戻ろうと考えてらっしゃる転居先は近いですか?」と聞かれました。

「そこまでは聞いていません。どうしてですか?」と聞き返すと、先生は、

「今回 森村さんのうつ病は、根本的な原因はお金という事でしたが、お話をよく聞くと、お姑さんとの関係もうまくいってなかったと考えられます。お姑さんとの関係がうまくいっていれば、気軽に相談も出来たかもしれません・・・。その結果、森村さん1人で抱え込んでしまったので病気になったと僕は思うんですよ。なので、今の時点でまたお姑さんが頻繁に出入りするような家であれば、例え寝る場所が違っていても"見張られてる"とか"探られてる"などと思ってしまい、いわゆる『強迫観念』となって余計に病気を悪化させてしまうのではないかと思います。とにかく、ご主人に話をして頂いてから電話で構いませんから、ご連絡下さい。」

とおっしゃいました。

私は先生の話の中の『強迫観念』という言葉があまり理解出来ていませんでしたが、言われたとおり、帰宅後、主人に電話で話しました。

主人に先生からの話をすると、「歩けば10分ぐらいのところだから、犬の散歩では来れるなぁ・・・」と言われ、翌日病院に電話をし、先生に取り次いでもらい、その事を話しました。

先生は「そうですかぁ・・・やはり、危険ですねぇ。悪化すると思いますけど、森村さんがどうしても戻りたいとおっしゃるなら私には止める権利はありませんので。後はご主人とよく話してみて下さい。もちろん、ご主人が僕に聞きたい事があるようでしたら、電話してもらって構わないですから・・・」と言い、

私は「わかりました。もう一度主人と話してみます。」と電話を切りました。

その日は主人と話す気になれず、考えながら眠っていました。

そして、翌日の夜、主人に電話をして先生との話を伝えました。

主人は「どうしたいの?」と私に聞いてきました。

私は「病気が早く治るのなら、先生の指示に従いたい。」ときちんと自分の意思を伝えました。

それから数日後、主人から「この間の話だけど、やっぱり先生の指示に従おう。子供の事は俺が子供と話をしてみるから・・・」という電話がありました。

私は子供がどうなるのか心配でしたが、主人は子供を大切にしてくれているし、今子供が生活しているところは私の実家だし、絶対に悪いようにはならない。と信じ、病気を治す事だけを考えていました。

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ついに離婚、家庭崩壊へ。主人と義母の顔が重なり限界でした。

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