更新日:2015/04/09
自営の建築業がバブル崩壊でピンチに。4,500万の債務を抱え...【体験談】
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評価を設定してください ×自営業を営んでいた夫と私(妻)の自己破産の体験談です。
私達は破産の申立を行ったのですが、弁護士事務所の対応の遅さ、夫の脳梗塞や私のうつ病が重なり、思うように進みませんでした。
さらに、申立直後に東日本震災が発生、結局破産成立までに3年以上かかってしまいます。
体験者の情報
名前:是木 芳子(仮名)
性別:女
当時の職業:自営業手伝い
当時の年齢:58歳(夫婦共に)
会社名(借入先・夫婦合わせたもの):アコム、武富士、プロミス、業務委託先22件(売掛金・個人情報のため詳細は伏せます)
借入件数:25件
利用時期:平成2年~平成19年
最大抱えた借金の合計額:約4,500万円(夫と合わせた額)
債務整理の種類:破産
債務整理費用:60万円
債務整理をしていた時期:平成20年10月~平成23年12月
バブルの好景気と崩壊
私が福島で建築関係の自営業を営んでいた夫と結婚したのは、昭和50年頃のことです。当時はバブルのおかげで次から次へと仕事が入り、夫の手取り月収は300万円以上ありました。
夫の地元は田舎でしたが、昔からの繋がりがあったので受注が絶えず、私たちは何不自由なく暮らしていました。結婚して2年後には、自宅と事務所を併設した広めの中古物件を現金で購入します。
しかし、このような好景気は長く続かず、次第に仕事量が減っていきました。
一般的に「バブル崩壊」と呼ばれる時期よりも少し早めに、その流れがやってきて、平成になる少し前には、夫の手取り月収はおよそ50万円まで落ち込んでいました。
さらに平成に入ると取引先の倒産が相次ぎ、報酬が支払われないということが出てきます。
夫は受注があるとまず建築資材を立替え、取引先からは完成までに順次報酬が支払われるという形で仕事をしていました。
そのため取引先の倒産は、報酬だけでなく夫が購入した資材代の回収もできないことになってしまいます。
ところが、このような状況はその後も続き、平成2年頃には私達の貯金はほとんどなくなってしまったのです。
仕事の受注のためには、多額の資金が必要になります。
しかし、銀行からの融資は、個人事業主という理由で断られていたため、夫は消費者金融を利用するようになりました。
具体的にどの消費者金融からいくら借りたかは把握していませんが、1回につき最低50万円は借りていたようです。
仕事内容の変化と収入の激減・夫の脳梗塞
平成に入る前は大きな仕事(1件につき報酬約500万円~1千万円)が1ヵ月に3件ほど入っていましたが、平成になってからは小さな仕事(1件につき報酬約10万円~50万円)が1ヵ月に1~2件入る程度でした。
大規模な建築作業が姿を消し、主に小規模な修繕作業が中心になったのです。
この頃の夫の手取り月収は約30~50万円。
しかし借金は増える一方で、毎月の返済額は約15万円、債務総額は約250万円でした。
生活は苦しくなってきましたが、それでもなんとか生きていくことはできました。
しかし仕事を受注する度に借入をしなければ、資金が用意できない状態です。
その後もこのような方法で仕事を続けたため、平成12年頃の債務総額は約2,000万円、毎月の返済額は約30万円に膨れ上がっていました。
そこで夫は自己資金で建築資材を購入することを止めて、資材費を先にもらってから仕事を受けることにしました。
こうすれば仕事の受注をする度に、消費者金融から借入をすることはなくなります。
しかし現実には、取引先が資材購入段階ですでに費用を支払えず、夫が売掛金を負担することもありました。
しかも景気はまったく良くなりません。それどころか、さらに悪くなっていきます。
平成15年ころになると、債務総額は約3,000万円。毎月の返済額は、約30~40万円になってしまいました。
当時の夫の手取り月収は約30万円だったため、返済を続けることは困難でした。
しかし他に収入を得る手段がないので、仕事を辞めるわけにはいきません。
まったく解決策を見つけられないまま、平成19年...。
突然、夫が脳梗塞で倒れてしまったのです。
一命は取り留めましたが、後遺症として言語障害と運動障害が残り、仕事ができない状態になってしまいます。
当然収入は途絶えました。
私は生活のために、近くの福祉施設の事務のアルバイトを始めました。
手取り月収は約18万円でしたが、ないよりはマシです。
長年続けてきた夫の仕事はたたむことになり、4,500万円の借金だけが残りました。
私の収入だけでは、毎月約40万円の返済はできません。
そこで生活保護を受けたいと思い役所に相談しましたが、自宅の不動産を手放さなければ生活保護を受けることはできないと言われました。
しかし福島県という田舎で、しかも事務所を併設しているため、買い手がつくはずもありません。
私は生活保護を受けることを諦めました。
次に選ぶ手段は自己破産です。
私達は取引先や同業者の倒産を多く見てきましたが、とうとう自分たちの番が来てしまいました。
そして平成20年、まず地元の弁護士に相談をします。
ところが債務内容が複雑で破産を専門にしていない私には手に負えないと言われ、破産専門の事務所が東京にはたくさんあると教えられました。
私達はすぐに債務整理を中心に扱っている大手弁護士事務所に頼みます。
この事務所も複雑な手続になると言っていましたが、何とか引き受けてくれました。
費用は夫婦合わせて50万円。頭金が2万円で、残りの費用は毎月2万円の分割払いになります。これが平成20年10月のことでした。
うつ病発症と進まない手続き
東京の弁護士事務所に依頼をしてから、半年が経ちました。
その間、事務所からはまったく連絡がありませんでした。
債権者に対しては弁護士から債務整理が始まったことが通知されているので、督促はなくなります。しかし借金があるという事実は解消されません。
私達は、不安を抱えたまま生活をしていました。
ところが依頼をしてから6ヶ月を過ぎた平成21年の夏の終わりになっても、事務所からは連絡がありません。さすがにおかしいと思いこちらから電話したところ、手続は順調に進んでいるとだけ言われました。
でも実際は忘れられていたのでしょう。
それから半年経っても連絡はなく、破産手続が進まないストレスから私はとうとううつ病になってしまいます。
職場の人達が配慮してくれたお陰で少しずつ回復していきましたが、結局うつ病は、それから1年以上続きました。
そして私の病気が良くなった頃に、弁護士事務所からようやく手紙が届きます。
そこには担当者が変わったこと、手続きが長引いていることへの謝罪の言葉、平成23年の3月までに破産申立を行うという計画表が入っていました。
新しい担当者からはその後も頻繁に電話があり、丁寧に説明をしてくれました。
住民票、家計簿、公共料金の領収書、自営業の時の帳簿等、集めなければいけない書類はたくさんありましたが、高齢者の私にも分かりやすい親切な対応でした。
そしてこの担当者のお陰で、連絡をもらってからたった2ヶ月ほどで全ての書類を集め終えました。
しかもいつの間にか私のうつ病もすっかり治ってしまったのです。
すべての書類を送るとすぐに連絡があり、1週間以内に破産申立ができると伝えてくれました。この時まだ申立を行っていないにも関わらず、とてもほっとしたのを覚えています。
しかし安心したのも束の間でした。
震災・破産手続・支えられた私達
破産申立を行ったという連絡があったのは3月初旬でした。 それから約2週間から1ヶ月後に私は裁判所に行き、面談を行う予定だったのです。
ところが、この3月11日に東日本大震災が起こります。
幸いなことに自宅の倒壊はなく、家具の破損だけで済みました。
またいわき市の山の中だったので、津波の被害もなかったのです。
しかし、電話が繋がらず、弁護士事務所と連絡をとることができなくなってしまいました。
私達夫婦の破産申立は、管財事件になることが分かっていたので、管財費用を裁判所に支払わなければなりません。
そのお金を弁護士事務所に一旦入金することになっていたのです。
この管財費用の20万円は、息子が用意してくれていました。
私は支払いのために震災直後の町へ出ました。
道路にはがれきがちらばり、お店はすべてシャッターを下ろしています。異様な光景でした。
ATMもほとんど作動していませんでしたが、ようやく見つけた機械で振り込みます。
そして、公衆電話に1時間ほど並んで、弁護士事務所に送金の報告をしました。
すると担当者が出て、今は破産手続のことを考えずに、用意した管財費用は生活のために使って下さいと言うのです。
その気遣いには心が温まりました。
しかし、それだけではありません。
この担当者は、不自由をしている私たちのために日用品などを集めて送ってくれたのです。
私はその荷物を受け取った時、我慢していた恐怖と不安が、涙になって溢れ出しました。
しばらくして私は再び公衆電話から感謝の言葉を述べました。
その時のあの担当者の言葉は今でも覚えています。
「物資と届けるという偉そうなことしかできなくてごめんなさい。」
生きる
震災後は裁判所の機能も停止してしまったため、それから1ヶ月間は何の動きもありませんでした。
しかしその間もあの担当者は、3日に1度は連絡をしてくれて、私達夫婦の状況を案じてくれたのです。
結局、第1回目の面談が実施できたのは、それから4ヶ月たった7月でした。
当日は、夫が動けないため私が裁判所に行きました。
私たちの借金は、個人の債権者が多く、また震災の影響で連絡がとりづらい債権者もいたためか手続が長引きました。
そしてようやく免責許可が下りたのは12月。
東京の事務所に依頼をしてから、3年以上が経っていました。
処分の対象であった自宅は、築年数が50年を超えていたこと、震災により値下がりしていたこと、場所が山の中のような所であったことから、買い手がつくこともなかったので、手元に残ることになりました。
そして夫の病状や私のうつ病があったことも勘案され、生活保護を受給することもできました。
途中で震災もあり、長い長い破産手続でしたが、弁護士事務所の担当者をはじめたくさんの人達に支えられました。
今回のことで、助けて下さったみなさんのためにも、どんな状況になっても、どんなに苦しくても私は「生き抜こう」と思っています。
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