更新日:2018/07/20
任意整理に必要なもの一覧と流れ、費用、期間、借金はどのぐらい減る?【体験談】
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評価を設定してください ×2004年、私は債務整理のひとつ、「任意整理」をして借金を整理・返済しました。
複数の借金に苦しんでいた頃は、精神的にも本当に苦しい毎日でしたが、任意整理をしたことでそのような暗闇の日々から脱出し、新しい人生を歩みはじめることができました。ここにその体験を綴っていきたいと思います。
まずは任意整理に至った理由と原因からお話します。
体験者の情報
名前:北島 由香(仮名)
性別:女性
当時の職業:製造業(フルタイムパート)
当時の年齢:30歳
債務整理方法:任意整理
当時の借入件数:7件(マスターカード、プロミス、アコム、モビット、レイク、ビーンズ、クレディア)
当時の借金の合計額:330万円
債務整理をした時期:2004年1月~3月
費用:着手金15万円、成功報酬金25万円
はじまりの一歩はクレジットカードから
私は1995年に新卒で就職をし、親元を離れて新しい生活を始めました。まだ若くて世間知らずで、お金の管理すら自分ではしたことがありませんでした。
しかし、お金の使い方をよく知らなかったせいか、貯金はそれなりにできていました。
ある日、職場にカード会社の営業マンが来て、「社会人ならカードを1枚くらい持つのが当たり前」と勧められ、マスターカードを発行してもらいました。
「カードって何だろう、何か大人の雰囲気だなー。」
これがクレジットカードを手にした時の最初の印象でした。
そして、初めてショッピングでカード払いをしたときは、財布の中のお金を減らさないで買えることや、いちいち銀行に行かなくても支払いができることにとてもびっくりしました。
それ以来、買い物をする時はカードで支払いをすることが多くなります。
それでもこの頃は、お給料でカードの支払いが滞りなくできており、生活も成り立っていたので何も問題はありませんでした。
病気が仕事に影響して・・・
そんな中、1996年の春に体調の変化が訪れました。何もやる気が起きなくなってしまったのです。
仕事も、家事も、朝起きることさえもできない。
食事をする気がおきず、テレビも見る気にならない。
人と会うのが吐き気を伴うほど嫌になり、仕事も休むことが多くなりました。
やっとのことで受診したのが精神科で、診断は「うつ病」でした。
当時の仕事はとにかく激務でサービス残業は当たり前でした。
しかも上司は同僚の前で私だけを1時間以上罵倒、叱責するというパワーハラスメントを繰り返しており、いつの間にか私の心はすっかり病んでしまっていたのです。
診断名を上司に告げて、「治療のために少し休職期間が欲しい」と相談すると、「そんな仕事のできない人は辞めてください」と言われ、自主退職の形をとらされました。
当時は、解雇宣告をされても何も考えることができませんでした。両親や行政にも相談できず、ただ従うしかありませんでした。
カードの返済に間に合わない!
退職してからしばらくは次の仕事を探す気にもなれませんでした。
うつ病という病気はあまり理解されにくいのかもしれませんが、心と体が動かないという状態は本当に大変です。
こんな最中、便利さにすっかり慣れてしまっていたせいか、クレジットカード払いを多く利用していました。
生活費は少しの間、これまでの預金でまかなっていましたが、すぐに残高不足となることが予想されたため、辛い体を起こして就職口を探し、接客のないフルタイムのパートを始めました。
でも、フルタイムとはいえ、パート収入ではお金が足りない・・・。
カードの請求書を見ると、毎月の収入以上の請求額がありました。これでは支払うことができないと考えた私は、支払いを月々の負担の少ないリボ払いに変更しました。
しかし、これもすぐに限度額を超えてしまい、使えなくなりました。
膨らんだカードの利用額は家計を圧迫して、生活は苦しくなるばかりです。
消費者金融へ
どうしようかと悩んでいると、駅前にプロミスの看板があったので藁にもすがる思いで融資の申し込みをしました。
正社員ではないのでダメだろうなと思っていたら、即日で50万円の融資。
あまりにもあっさりと契約できたことに驚きました。
その時は「ついに借金を作ってしまった」というとより、これで今月の支払いができたという思いでホッとしたのを覚えています。
借金がどんどん増えていく
カードの支払い、家賃の支払い、消費者金融への支払い。さらにはうつ病の治療費の負担もあり、月々の支払いは13万円にものぼりました。
フルタイムのパートで働いたお金がそのまま支払いに飛んでいくような状況になってしまったのです。
そこで、借金を返済するために、別の消費者金融でお金を借りて返済をし、限度額がいっぱいになったらまた別の消費者金融でお金を借りて返済する、ということを繰り返すようになりました。
そして、いつしか借入件数7件、借金の合計額は330万円にまで膨らんでいったのです。
この時には、もはや自分ではどうすることもできなくなっていました。
返済に追われる日々
「とにかく返済しなければ!」
私は昼夜問わずに働き続けました。
仕事を掛け持ちして、生活は極限まで切り詰める。そこまでしても、月末にはお金が足りなくなり苦しい状態です。
たくさん働いて、たくさん支払っても元本がなかなか減っていかない。
この悪循環からどうしても抜け出せずにいたのです。
もうどのカードも限度枠いっぱいまで借りており、新規のローンも組めない状態でした。
毎日毎日、考えるのは支払いのことばかり。
今月はちゃんと支払えるだろうか。
支払えたとして、来月は?
この先、自分はどうなってしまうのだろう。
5年後、いや来年の自分はちゃんと生きているのだろうか。
将来のことを考えるたび、不安に押しつぶされそうでした。
わずかな給料は毎月の返済で無くなりました。
家賃や光熱費は滞納する一方で、食事もまともにとれませんでした。毎日安売りのパンをかじっていた記憶があります。
そして、悪いことは重なるものです。
食事もまともにとらないような過酷な環境で生活していたせいか、ついにうつ病が再発してしまいました。一時期落ち着いていたものがぶり返してしまったのです。
そうはいっても病院に行くお金もありません。うつろな顔で職場に行くほか、どうしようもありませんでした。
出口の見えない迷路のような日々。
今にも心が砕け散ってしまいそうになりながら、それでも這うように生きていました。本当に苦しくて辛い日々でした。
取り立て屋がやってきた!
借金生活も7年目。とうとう支払いが不可能な状態になってしまいました。
光熱費も家賃も滞納したまま払えなくなり、まさに崖っぷちまで追い詰められたのです。
返済が滞ると、ものすごい勢いで催促の電話や手紙がやってきます。
それだけではありません。
2~3時間毎に鳴り響くインターホン。
私が出ないと、ドアをガチャガチャやったり、蹴飛ばしたり、口汚く罵ったり...それはそれはひどい取り立てでした。テレビドラマで良く見る取り立ての光景そのままです。
職場にも毎日のように押しかけて来ました。(ちなみに、現在は取り立てについて法律で厳しく規制されているので、このようなキツイ取り立ては行われないと思います)
取り立ての車がこちらを監視しているのではないかと考えると、怖くて外にも出られません。
無断欠勤も多くなりました。
電話が鳴るたび耳を塞いでいました。
吐き気が止まりませんでした。
当時は真冬でしたが、在宅とバレるのを恐れて暖房も付けられませんでした。夜は明かりを灯すこともできず、毛布にくるまってガタガタと震えていました。
うつ病もあって思考がマヒしていたため、この辺のことはあまり詳しく覚えていません。
「このまま私は凍死するのだろうか。どうせ死ぬなら楽に死にたいな」そんな恐ろしいことばかり考えていたような気がします。
勇気を持って打ち明けよう
そんな中、私はある決断をします。それは、両親に今のこの状況を打ち明けること。
このままでいてはどうしようもない。
出口の見えないこの状況。
なんとかしなければ、自分は本当に終わってしまう。
父や母ならきっと何らかの解決策を見出してくれるだろう。そんな淡い希望を抱きつつ、私は両親に相談することを決めたのです。
まだ生きることを諦めていない今のうちに、手遅れにならないうちに話してしまおう。勇気のいることでしたが、やっと決断できました。
私の告白を聞き、両親はとても驚いていました。
母は泣いていました。
父には殴られました。
でも、最後にはこう言ってくれました。
「それでも、相談してくれてよかった。」
この言葉は今でも覚えています。
そして両親は債務整理という手段を教えてくれました。無知な私はそこではじめて債務整理というものを知ったのです。
無料相談会へ行ってみよう
それから私は仕事を辞め、実家に移り住みました。
そこでうつ病の治療をしながら、弁護士の無料相談会に行くことにしたのです。
「弁護士」というとなにやら敷居が高そうで、多少戸惑いもありました。
しかし、早くなんとかしなければより多くの人に迷惑をかけてしまうかもしれない。今は迷っている場合では無い。そう自分を奮い立たせました。
でも、本当にこれで解決するのだろうか、という不安は消えませんでした。
とにかく弁護士に相談しよう
弁護士会主催の無料相談会。裁判所横にある弁護士会館の一角で、それは行われていました。
私は今まで、このような相談会があること自体知りませんでした。
しかし、相談に訪れる人は多く、ロビーは人でいっぱいでした。法に関わるトラブルを持った人が世の中にこんなにいるのか、と思ったのを覚えています。
待つこと2時間弱。
やっと自分の順番がやってきて、弁護士との面談がスタートしました。時間は25分間です。
テーブルと椅子しかない小部屋に案内され、そこでいままでのいきさつと借金総額、借入件数、返済してきた年数等を話しました。
25分間はあっというまに過ぎていきました。
相談にあたってくれた弁護士さんは、最後に名刺と事務所までの地図を渡してくれました。
このような借金問題の場合、とにかく支払いの取り立てがこないようすぐに手続きしないといけないそうです。
明日にでも事務所に来てもらって、具体的な相談はまたその時にしましょうと言われました。
面談はあっさり終わりましたが、弁護士が決まったことで少しホッとしました。
あの激しい取り立てに怯えずに済むと思うと、暗闇の中に光が差してきたように感じました。
解決の糸口が見えてくると心の負担も軽くなります。一人で悩まずにもっと早くこうしていればよかった。今でもそう思います。
任意整理に決めた理由
弁護士主催の無料相談会で相談に乗ってくれた弁護士さんの事務所には、翌日訪問しました。
とても大きな振り子時計が印象的な弁護士事務所でした。
先日と同じように借金について一通りの内容をお話し、それぞれの借入額と毎月の返済額を用紙に書き込んで表を作成しました。
そしてそれを見た弁護士さんの言葉。
「本当なら自己破産ですね。あなたはこれといって大きな財産も無く、今は病気もあって働くこともできない。でもあなたの場合はまだ若い。この若さで最終手段を選ぶのはちょっと早い決断かもしれない。それに消費者金融から7年の取引があるので過払い請求額が期待できます。ご両親からの援助もあることですし、債務整理の中でも任意整理をおすすめします。」
正直、自己破産とか任意整理とか知識の無い私にはわからない言葉だらけでした。
当時は精神科の薬の副作用であまり考えられなかったこともあり、すべて弁護士さんにお願いすることにしました。
任意整理をするにあたって用意するもの
私が任意整理をするにあたって用意したものになります。
1.消費者金融のカード、クレジットカード
これがなければはじまりません。契約書はなくても大丈夫でした。
弁護士が債権者に対して受任通知を発送しますので、この時点で支払いの催促が来なくなります。
実際に弁護士さんが目の前でプロミスに電話をして、これから任意整理をするので催促を止めるようにと話していました。
2.預貯金通帳
銀行へ行って取引履歴を2年前にさかのぼって発行してもらいました。手数料は1,000円くらいだったと思います。
きちんと記帳していれば通帳のコピーでもよかったのですが、何件かおまとめ記帳があったため取引履歴を出すように言われました。
銀行で「何に使われますか?」と聞かれましたが、弁護士さんからは税金関係というだけで正直に話す必要はないとのことでした。
3.住民票
本籍が載っている住民票といわれました。
4.源泉徴収票
収入がわかるものでいいそうです。もしなければ課税証明書といわれました。
5.印鑑
思っていたほど難しいものはありません。
他に事務所側が用意する書類が何種類かあり、それぞれに署名捺印をするだけです。
どのように任意整理はすすんでいくの?
任意整理中、事務所には3回行きました。
2回目は必要書類が揃い、提出する時でした。
この時は事務員さんが対応。
過払い請求についての途中経過報告がありました。
3回目はそれぞれの債権会社との合意条件が決定した時。
任意整理後の支払い額と振込み方法、事務所の報酬金等の事務的手続きでした。
この時に弁護士さんと面談があり、これから自分はどうあるべきか、どうお金と向き合っていくかいろいろとお話があったのです。
「自分では解決できないことがあったら誰かにすぐに相談することも一つの勇気。恥ずかしいのは今回みたいな任意整理ではなくて、返せない借金をいつまでも返せないままでいること。あなたはまだ若くて未来もあるのだからこれから頑張ればいいんです。いい勉強になりましたね。」
ここまで借金が大きくなってしまったことをもっと責められて、高圧的な態度でいろいろ言われるのだろうと覚悟はしていましたが、そんなことはなく本当に親身になって語ってくれたのです。
この時の言葉は忘れられないものになりました。
任意整理で借金はどうなった?全部でどのくらいお金がかかった?
この任意整理で330万円あった借金が130万円になりました。
細かいところは当時治療のために服用していた薬の副作用で頭がボーッとしていたためあまり覚えておりません。
これに借りていた7件分の着手金15万円に成功報酬金が25万円、支払い金額は全部で170万円になります。
このお金は、両親が私の将来のために預金しておいたお金で一括して支払ってくれました。
7年間苦しめられた330万円の借金は無事に完済となったのです。
任意整理の期間
最初に事務所を訪れてから3回目の事務所訪問までにかかったのは、約3ヶ月でした。
当初「半年はかかると思ってください」と言われていましたが、それより早く決着がついたのです。
最初の事務所訪問時はまだ冬で寒かったのですが、3回目の訪問時には暖かい風が吹き、春を感じさせる気候になっていました。
全部終わったんだとホッとするとその暖かい風から春のにおいがしました。
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