任意整理で救われた!ギャンブル・借金だらけの生活から新しい人生へ【体験談】

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かつて私は、非常に暗い人間でした。
周りに信頼できる人もいなければ、簡単な相談事ができる友人もいません。自分が直面したトラブルは自分で解決する。解決できなければ逃げる。そんな人生だったのです。

しかしまさか勇気を出して相談をするだけで人生が変わるとは思いませんでした。
これは、私に限ったことかもしれませんが、同じような思いをした方々は少なからずともいるはずです。

体験者の情報

名前:降矢 俊三
性別:男
当時の職業:アルバイト
当時の年齢:40~65歳
会社名(借入先):アコム、エイワ、武富士、三和ファイナンス、オリコ、SMCG、つばさ(違法業者)、ドリーム(違法業者)、未来(違法業者)
借入件数:10件
利用時期:昭和58年~平成19年
最大で抱えた借金の合計額:約1,000万円
債務整理の種類:任意整理
債務整理費用:57万円
任意整理をしていた時期:平成19年5月~平成19年8月

性格のせいで仕事ができない

私は若い時から他人と接することが非常に苦手でした。
他人の好意に甘えることもできません。
この性格は人生において、非常に不利に働きました。

大学を出てすぐに一般企業に就職しましたが、上司だけでなく同僚にも打ち解けることができませんでした。特にひどかったのは、業務の指示を出されるときに相手の顔を見ることができなかったことです。

そのため上司からの評価は低く、無視をしていると誤解されることもあり、会社での立場は悪くなる一方でした。

そのため私は、入社後1年も経たないうちに会社を辞めてしまったのです。

当時、ニートという言葉はありませんでしたが、私は無職になり、実家の両親のもとで生活をしていました。父の収入で養ってもらう状態が15年以上続いたのです。

昭和56年に母が病気のため他界し、続いて翌年に父も病気のため他界。その時に私は、父の持ち家と現金約500万円を相続しました。

ギャンブルが救いの手

私は両親が他界した後、収入がなかったため、就職しようと数々の面接を受けます。しかし景気が良いにも関わらず、面接官の顔を見て話をすることもできない私は、1社も受かりませんでした。

なんとか収入を得なければ死んでしまうと必死になっていましたが、どうしても性格が邪魔をしてしまい思うように進みません。

これが病気であることは自分でも気が付いていましたが、病院に行くことはできませんでした。

そこで他人と接することなく収入を得られる方法として、目をつけたのがパチンコ。テレビでは、パチンコで生活している人もいると聞いたので、うまくいけば私もパチンコで生活することができると考えたのです。

数々の情報雑誌を読みあさり、私は真剣にパチンコを始めました。

遊び半分ではなく、私は必死だったのです。
大真面目にパチンコで毎月10万円程をコンスタントに稼ぐことができるようになることを考えていました。

しかしこの程度の収入では、ギリギリの生活しかできないため、1回にかける金額を増やすことにしました。

記憶は定かではありませんが、それまで1回のパチンコに2万円を限度としていたのを、5万円に引き上げたのです。

暗い性格の私にとって、パチンコは「救いの手」だったのですが、そううまくお金は稼げません。

毎月の収入はマイナスになり、父が残した現金で食いつなぐ日々に陥ってしまいました。

やめられないギャンブル

気が付くと父が亡くなってわずか半年で、約500万円あった現金は20万円になっていました。貯金が底をつくことを恐れた私は、ついに消費者金融に手を出してしまったのです

私が初めて借入を行ったのは、昭和58年にパチンコに充てるために借りた10万円です。

その後もパチンコで負け続け、毎月生活費に充てるために消費者金融から借入を行うようになりました。

昭和59年になると、毎月の返済額は約5万円で債務総額は約100万円。当時の利率は29%程度です。支払期限に間に合わず、少額の返済を行っていた私は、当然に遅延損害金が発生し、利率は38%程度になっていました。

当時、私は日々パチンコだけをして生活していたわけではありません。アルバイトでもいいから安定した収入を得たいと思っていましたので、毎週面接を受けていました。

面接に落ち続けていましたが、昭和59年の夏頃に、私の性格を理解して下さった建築関係の方が採用してくれたのです。

当初はアルバイトで、手取り月収約18万円を得ることができました。

仕事は黙々と土木作業をだけで、会話と言えば声で合図を出すだけだったので、相手の顔を見て話ができない私にとっては、非常にやりやすい仕事でした。

当時の毎月の返済額は約7万円でしたが、なんとか返済していける金額。しかし、私はギャンブルを辞めることができなかったのです。

理由は、私にも分かりませんが、アルバイトをしていても日常生活は一人だったため、パチンコくらいしかやることがなかったからかもしれません。

時代が平成になると、少しずつ世の中の景気は悪くなっていきました。

このころから、パチンコ資金、生活費、返済資金に充てるためにエイワ、武富士、三和ファイナンスからも借入を行うようになり、もはやどこからどのくらい借入をして、借金の額がどのくらいあるかもわからない状態になっていきます。

平成3年頃、私はアルバイトから正社員になり、手取り月収は約30万円になりました。

しかし当時の毎月の返済額は約15万円あり、債務総額は約400万円あったと記憶しています。それでも病的にパチンコにのめりこみ、辞めることができなかったのです。

さらに、オリエントコーポレーション、SFCGといったところから借入を行うようになり、土木建築関係の仕事をしていることから、使途目的を事業資金と偽ってまで、借入を行うようになりました。

一人親方で事業を始める際には、計画表を提出して書面審査のみで借入ができたので、それを悪用してしまったのです。

平成5年ころには、毎月の返済額は20万円以上になっており、債務総額は約800万円になっていました。

このころから、各社から借入を断られ思うようにお金を借りることができなくなります。

違法業者との出会い

私は借金があることで生活が苦しくなっていることを誰にも相談できませんでした。

平成5年ころから平成10年ころまでは、借入ができなかったので、手取り月収約30万円の中から毎月約22万円の返済を行っていました。

今思い返すと、必然的にパチンコができなくなった状態は、非常に良いことだったはずなのです。

しかし、悪い出会いが。 返済をすることだけに追われていたある日、電信柱に貼ってある広告を見つけ、違法業者の存在を知ってしまったのです。

早速、違法業者の1社から20万円を借りると、すぐにかつての様にパチンコをする生活に戻りました

もちろん負け続ける日々。

そして、あろうことか「違法業者=お金を貸してくれる便利な消費者金融」と誤解をしてしまい、さらに2社からお金を借りるようになりました。

無知だった私は、金利のしくみなど全く分かっておらず、とにかくお金が欲しいという欲望から無謀な行動をとっていたのです。

いわゆる「トイチ」というものが高金利であることなど、当時は知りませんでした。

私にとって、1回2回の返済の遅延など当たり前のことだったのですが、このような考え方が、違法業者の恐ろしさに気付くきっかけになったのです。

私は、違法業者に対して、「お金を貸してくれる良い業者」という間違った理解をしていたので、他の消費者金融より優先して返済していました。

しかし、パチンコで全く勝てなくなった平成16年ころから、違法業者に対する返済は遅れていきます。

自宅にまで押し掛けてくる違法業者に日々悩まされるようになりました。当然給料日まで待ってくれるようなことはなく、金利だけでも今すぐ払うようにと、所持金がない状態の私を監禁するようなこともあったのです。

そして返済できないなら貸してやると言われ、無理やり借入をさせられることも。もちろん給料日にはほとんど全額持っていかれます。

このような生活が、平成19年ころまで続きました。

自殺・勇気・相談

私は誰にも相談をすることができず、自殺を考えるようになりました。もともと人と接することなく生きてきたので、自殺なら誰にも迷惑をかけないだろうと思ったのです。

毎月の返済額は30万円を超えていたのではないかと思います。
債務総額は1,000万円ほどありました。

自宅を売却して借金を返済することも考えたのですが、3年間も違法業者に取りつかれると、もはやそのような積極的な考えさえできなくなってしまうのです。

ある日、仕事帰りに渋谷の街を歩いていると、債務整理という看板が目に入りました。債務整理という言葉は以前から耳にしていたのですが、私はインターネットも新聞も読んでいなかったので詳しいことは何も知りません。

その看板には「誰にも知られずに、まずは相談をすることから」という言葉が書いてあります。しかし、その日は看板を読んだだけで、その場を去りました。

何度か仕事帰りにその看板を見ているうちに、どうせ死ぬなら最後に思いっきり恥をかいてもいいだろうと思うようになり、そのまま看板の司法書士事務所に入りました。事務所が路地裏にあったことも、私が事務所に入れた理由だったかもしれません。

飛び込みである上に暗い性格の人間が訪問したら誰だって嫌がるだろうと思い、本気で死ぬ覚悟で訪問しました。

しかし司法書士の先生は臨床心理士でもあったらしく、私に臆することなく非常に流暢に話しをしてくれました。そして私は人生で初めて人に自分のことを色々話すことができたのです。

相談時間は3時間にも及び、相談が終わると夜の12時を過ぎていました。

結局その司法書士の先生に債務整理をお願いすることになったのです。手持ちの現金がなかった私に対して、過払金が出ると思われるので着手金は後払いで構わないとのことでした。手続の種類は任意整理です。

債務整理をお願いしてから違法業者の督促が止まりました。そして、違法業者からの借金は無くなったとの連絡を受けたのです。

なぜ違法業者からの借金がなくなったかというと、利息制限法や出資法に定められている金利を超える貸し付けは、そもそも違法な貸し付けであるため、継続的に返済を行っていた場合は、以降は返済をする義務はないそうです。

ただしそのことを知っていているのに違法業者から借金して一度も返済をしない場合は、返済義務があります。

さらにその他の消費者金融に対しての借金も全てなくなり、総額300万円のお金が戻ってくるという結果になりました。

私の借り入れは、29パーセント程の利息でしたので、利息制限法内の18パーセントに引き直し計算をした結果過払金が発生していたことが判明したのです。

過払金の内訳は、正確には記憶していませんが、1社あたり30万円から50万円程ありました。

過払金というのは、お金を借りてはいるものの、長期間にわたってある程度定期的に返済を行っていると発生しやすいとのことでした。

私の人生は変わったのです。
たった一つの相談で、借金が無くなりお金が戻ってくる。
そして精神科の先生も紹介してもらい、他人に対する苦手意識もすぐに治りました。

司法書士の先生に支払ったのは、着手金27万円と成功報酬30万円。精神科にかかったお金は約25万円です。手元に残ったお金は225万円程ですが、それ以上に大きなものを得ることができました。

現在は年金と週2回のアルバイトで生活していますが、老人会のゲートボールクラブに参加するなど積極的に他人と接することができています。

誰かに自分の身の上を話すことはなかなかできないことです。

しかし時には人生を変えることもあります。今、私は誰かの相談にのることが生きがいです。

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