母子家庭となり、生活保護の受給申請。新生活のスタート【体験談】

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この体験談について

夫と義父の失業をきっかけに家族で起こした会社。その資金繰りのために私は多額の借金を背負ってしまいました。結果的に私も夫も自己破産することになったのですが、私は借金や義父母のプレッシャーによりうつ病になってしまったのです。結局、病気のせいで夫とも離婚し、母子家庭で生活保護を受けることに・・・。今回は、そのときの様子を体験談形式でお伝えしたいと思います。

前回のあらすじ

借金問題は解決したのに、病気は悪化する一方。
夫といると義母の存在が頭から離れなくなり、ついに離婚をすることになりました。

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多額の借金を抱えて自己破産!ストレスでうつにもなった私の壮絶人生

母子家庭になった我が家。新た生活のスタート

私の自己破産から約1年半後、母子家庭となりました。

本当に主人には今も感謝しています。私にしてくれた事も、子供にしてくれた事も、この先忘れる事はありません。

子供には本当に悲しい思いをさせてしまったと思います。

ですが、私なりに自分の病気を克服する事が主人の為でもあり、子供の為でもあると信じ、しっかりと向き合っていく事に決め、離婚しました。

主人とよく話合った結果、離婚届を提出してから転居先を決める事になりました。子供が転校せずに済む範囲で、家を探しました。

親子2人ですので部屋数も要りませんし、家賃が安ければそれで良いと思っていました。

1週間も経たずに良い物件が出てきたので、不動産屋へ行き話をしてみると、母子家庭という事は特に問題ではなかったのですが、私が無職であることが大きな問題となってしまったのです。

当時、精神障害者という事で手帳の交付を受けていた私の唯一の収入は障害者年金だけでした。

うつ病が発症した時、厚生年金をかけていた事に加えて母子家庭になった私は世帯主となり、子供が扶養者であることから通常の年金額より若干多くはもらっていたものの、やはりそれだけで生活が出来る程ではありませんでした。

離婚した主人や実家に迷惑をかける訳にはいかないので、区役所へ相談に行ったところ、生活保護の受給を勧められました。

不動産屋にその話をすると、「生活保護は公的なものなので、貸主さんもOKを出すと思いますよ。」と言われ、数日後その通りOKとなりました。

無職だという事で、保証人を2人揃えて欲しいという条件はつきましたが、無事に契約が終わり、引越しも家族と友人の手伝いにより、無事に終わりました。

引越し後、ダンボールに詰めた荷物を出して片付けなくてはなりません。その片付けをしている最中、パニックに陥ってしまいました。

1つずつダンボールを開けて、中身を整理していくのが普通ですが、どれを開けても何をどこにしまえば良いのか全く分からなくなってしまったのです。

わからない事が今度はわからなくなり、気付けば大泣きしながら友人に電話をしていました。

友人は仕事中でしたが電話に出てくれて、「どうしたの?泣いてちゃわからないよ。」と言ったので、「荷物を片付けようと思ったら、全部わからなくなっちゃって・・・」と説明したのです。

すると友人は、「じゃあ会社の帰りに寄るから、凛子は何もしなくていいよ。わかった?」と言い「うん。いつもごめんね。」と電話を切りました。

友人は約束通り会社の帰りに寄ってくれ、疲れている中、一緒に片付けてくれました。

実は子供との生活を考え、離婚したと同時に服用していたお薬を一気にやめてしまいました。

"お薬を飲んでいるから、いつもモウロウとしていたり、眠ってしまうんだ。これじゃぁ、毎朝子供を起こすどころか、お弁当も作れない!!"

こうした考えで担当医には言わず、勝手に服用をストップしてしまったのです。その反動がパニック障害をさらに悪化させてしまったのでした。

本来、担当医と相談しながら違うお薬にかえてもらったり、少しずつ減らしたりするらしいのですが、私は自己判断で勝手に全てをやめてしまったのです。

それからというもの、パニックを起こす頻度が増していきました。

生活保護の受給申請

そんな状態でも、何でも自分でやらなければなりません。

家の片付けが少し落ち着いてから、生活保護の受給申請をしました。

でも、すぐに受給出来る訳ではなく、やはり審査の様なものがありました。

身内に金銭的な援助が出来る人が居ないか書面で確認したり、預金や財産についても調べられます。

私が通院で使っていた自動車については、会社の廃業届を提出する際に手放していましたので、自己所有しているものはありませんでした。

生活保護の受給申請から約1ヶ月後、ようやく申請が通り区役所で最後の手続きを行いました。

私の場合、生活保護費は毎月10日前後に振り込まれました。障害者年金は非課税ですが、収入とみなされます。

家賃以外の分として、親子2人の生活保護費は約16万円ぐらいだったと思います。

生活保護の場合、医療費もかかりませんし、市内の公共交通機関(バス・私鉄)の乗車券も頂けましたし、何の不自由もないと安心していましたが、そうではありませんでした。

車が使えないことによる弊害

私はうつ病が発症する前から、公共交通機関を利用する機会がなく、ずっと車で移動していました。

そしてうつ病になってからは更に利用しておらず、いざ病院へ行こうと思いバスに乗ったら、数分後にパニックの発作が出てしまいました。

結局、バスから降りて友人に迎えにきてもらったのです。

それ以降、1人で病院へ行こうとすると"また発作が出てしまったら・・・"と考えてしまい、そう考えると、心臓がバクバクし始めて発作が起きてしまうようになりました。

唯一乗れるものはタクシーだけでしたので、1度タクシーを利用して病院へ行ったのですが、病院は市外にあり、往復で1万円近くかかってしまいました。

ただでさえ生活保護費は上手にやり繰りをしないと、消耗品などが買えないぐらいギリギリの支給額でしたから、毎回タクシーを利用してしまったら消耗品どころか、食費まで無くなってしまいます。

悩みに悩んで、通院の時だけ友人に車を借りる事にしました。友人は状況をよく知っていたので、快く引き受けてくれたのです。

友人の車のスペアキーを持たされ、近所だったこともあり、通院日には歩いて友人宅へ車を取りに行き、借りて病院へ行くようになりました。

車の利用料金とガソリン代を足して、1日500円で貸してもらっていました。

車を借りた通院日だけ、病院の帰りにスーパーで買い物をし、一旦自宅に買い物した物を置いて、また友人宅に車を返しに行く。こんな感じで数回通院しました。

そんなある日、友人が「確か凛子のアパートには、来客用の駐車場があったよね?私は、毎週日曜日しか車使わないから、その駐車場に置いておけば凛子も楽じゃない?車を所有してはいけないって言ってたけど、借りる事は平気でしょう。だって、車がなかったら凛子は病院へも買い物へも行けないんだから・・・」と言ってくれたのです。

「でも、悪いからいいよ。来客用の駐車場に止めておいてキズでもつけられてもさぁ・・・」と一度は断ったのですが「平気!平気!!キズつけられても、古い車だし・・・」という友人の言葉に甘える事にしました。

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