更新日:2018/07/20
うつ病で廃人のようになり、家族3人バラバラに暮らすことに【体験談】
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夫と義父の失業をきっかけに家族で起こした会社。その資金繰りのために私は多額の借金を背負ってしまいました。結果的に私も夫も自己破産することになったのですが、私は借金や義父母のプレッシャーによりうつ病になってしまったのです。結局、病気のせいで夫とも離婚し、母子家庭で生活保護を受けることに・・・。今回は、そのときの様子を体験談形式でお伝えしたいと思います。
前回のあらすじ
突然体調を崩し、家事も含め何もできなくなった。友人の勧めで心療内科に行き、診断された病名は「うつ病」でした!
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診察の結果は「うつ病」でした
まず初診の前に30分のカウンセリングでした。
女性のカウンセラーが、1人。
私の前に座っていました。
そして、「森村凛子さんですね。今日は来て下さってありがとうございます。」と言うのです。
私はその言葉にとても驚きました。
病院に来て「有難う」なんて言われた事ありませんから・・・
そしてその女性は、「今日は、私に色々な事をお話して下さるんですよね?」と言い、「では、何からお話して下さいますか?」と聞かれました。
私は「・・・。」しばらく黙り込んでいました。
何をどう話したら良いかわからなかったからです。
すると今度は、「いつも頑張っていらっしゃる森村さんは、何か気になる事があるのではないですか?どんな事でもいいんですよ。お話して下さいませんか?」と言いました。
この言葉の何に反応したのかわかりませんが、そこから30分以上泣き喚きました。
子供の様に泣きじゃくっている自分を別の自分が見て驚いている。そんな30分だったと思います。
少し落ち着いた頃、前に座っている女性が「色々と頑張りすぎたんですね。今日は1人で来られたんですか?付き添いの方はいらっしゃいますか?」と聞いてきました。
私は「1人で・・す。1人で・・・きまし・・た。」としゃくりながら答えました。
「そうですか。では、一旦待合室でお待ち頂いて、またお名前をお呼びしますのでそうしたらお隣の部屋の方へお越し下さい。」と言われ、待合室で再び名前を呼ばれるのを待っていました。
10分ぐらいしてからだと思います。
「森村さーん、森村凛子さーん」
呼ばれました。
カウンセリングの隣の部屋へ入ると、そこには白衣を着た中年ぐらいの男性が座っていました。
すぐに先生だとわかりました。
先生に、「今日はおひとりで来られたと聞きましたが、今お電話をしたら出られるご家族はいらっしゃいますか?」と聞かれました。
「主人がおりますが、仕事中なので出られないと思います。何か・・・?」と聞き返しました。
「そうですかぁ・・・本当ならご家族にお話をさせて頂くのですが、あなたに直接お話するしかありませんね。」と言い、さらに続いて「森村さん、あなたはうつ病です。」と言うのです。
「うつ病・・・」
「そうです。簡単に言えば心の風邪です。」
「心の風邪ですか・・・」
こんな会話が続きました。
うつ病・・・。
聞いた事はありました。
現在のように頻繁に耳にする前だったので、よくはわからなかったが精神疾患というのはすぐに判断がつきました。
そして先生に「どうしてうつ病になってしまったんですか?」と聞きました。
この時は一瞬目が覚めた様に頭がハッキリしたので冷静に聞けたと思います。
すると先生は、「うつ病と言っても原因は色々ありますが、大半はストレスです。森村さんはいつも、『○○しなくちゃいけない!とか、○○じゃなくちゃいけない!!』と思っていませんでしたか?それが自分へのプレッシャーとなり、ストレスに変わってしまったのではないでしょうか。」と説明して下さいました。
"確かに・・・"そう心の中で思いました。
会社を立ち上げてから3年。
常にお金の事を考え、
"○○会社からの入金を返済にあてなくちゃいけない"
"○日にはいくら返済しなくちゃいけない"
"家族の為だからこうしなくちゃいけない"
などといけないだらけでした。
何故30分泣き喚いただけで先生がうつ病だと判断されたのかはわかりませんが、全て言われた通りでした。
「では、私はどうしたら良いのでしょうか?」と先生にたずねると、先生は「とにかくお薬を飲んで下さい。そして1週間後、また来てください。」と言われました。
その時に処方されたのは、精神安定剤・抗うつ剤・眠剤などでした。
診察が終わり、お薬をもらい、またどこを通ったかわからないうちに自宅へ着いていました。
帰宅し、先生の指示通りお昼の分のお薬を飲むと、眠気がきたのでベッドへ行き、横になりました。
2回目の通院。まだ病気のことは旦那には言えず・・・
今度は私の頭の中が"お薬を飲まなければいけない"の一色となり、そこからお薬を飲み続け、一週間後にまた病院へ行きました。
2回目もカウンセリングから始まったのですが、何故かまた泣き喚き、それが終わると待合室、そして診察室へと前回と同じ流れでした。
「こんにちは、森村さん。その後 気分はどうですか?」と先生に聞かれ、「変わらないです。」と答えた私。
「そうですよね。そんなに早く変わらないかもしれませんね。では、今回もお薬をお出ししますので、また来週来て下さい。あっ!来週はご家族の方と一緒に来て下さい。」と先生に言われました。
私は「あの、主人は仕事が立て込んでて来られないと思うんですが・・・自営業なので・・・」と言うと先生は困った顔をしていました。
少し間が空き、先生から
「この病気の事は、ご主人にお話しましたか?」と聞かれ、
「まだ話してません。」
と答えると
「では、>今日ご主人にお話下さい。そしていつでも良いのでご主人の手が空いた時にお電話を下さる様お伝え下さい。」と言われました。
「それから・・・森村さんのご自宅から、病院まではどうやって来られてますか?」と聞かれたので「車で来てます。」と答えると、又先生は困った顔をしました。
「森村さん、先週処方したお薬は眠くなる事がありますので、もう運転はしないで下さい。とても危ないですから・・・」と言われました。
ただ、私は主人にはどうしても話す事が出来ず、その後も数週間は1人で運転し毎週通院していました。
確かに運転していても、眠くて眠くてところどころワープしていました。
病院へ行くたびに先生から「ご主人からのお電話がないようなのですが・・・」と言われてはいましたが、それでも主人には言えずにいました。
こうなっても返済日は毎月やってきます。
動けない間の返済は全て主人にお願いしていましたが、主人も仕事があるので返済が遅れたり、自分の返済も始まった事で、どちらか一方しか返済出来ず滞り始めました。
当然返済が遅れたり、滞ったりすると借入先の会社から電話が来ましたが、常に留守電になっていましたので留守電に録音されたものを後で主人が聞いていたようです。
その様子はモウロウとしている私にもわかりました。主人の表情が歪んでいくのがわかりました。
子供の事も家事も全て主人任せで申し訳ないと心では思うものの、実際に何も出来ない私がいました。
子供は病気という事はわかっていたようで、「行ってきます」と「ただいま」はベッドまで来て言ってくれました。
昨今、このうつ病という言葉を本当によく耳にします。
私が発症した時には、ここまで耳にする病気ではないと思っていました。
このうつ病は完治と言われても再発する。こう言われていますが、皆が皆そうではありません。
現在は治療方法も色々なので、"もしかしたら私・・・"とお心当たりのある方は早目に心療内科を受診して下さい。
廃人のような生活
私は、前回もお伝えしたようにストレスからうつ病を発症してしまい、廃人のような毎日を送っていました。
毎週通院して、お薬をもらって・・・
気付けば、所々記憶がありません。
お薬の中には眠気が誘発されるようなものもあり、起きている時間よりも眠っている時間の方が長いのです。起きていたとしても、いつもボーッとしているのです。
母にこの頃のことをよく聞きます。
母は決まって「思い出したくないけど、いつも起きてるか寝てるかわからないし、何を聞いても返事は「うん。」しか言わないし・・・本当に廃人だったねぇ・・・」と言います。
廃人になってしまったからといって、借金が消える訳ではありません。
ボーッとしている中でも、常に返済の事を考えていたのを今でも覚えています。
うつ病と診断され、数か月が経った夏のことです。ちょうど子供の夏休みでした。
私があまりにも悲惨な状況だったため、私と子供は一旦実家に帰ることになりました。それから子供の夏休みが終わるまで、実家暮らしです。
当然主人とは別居。
仕方がありませんでした。
当時、もちろん実家の両親には借金について何も話していませんでした。
まじめ一筋できた両親に、会社の為だからといって借金をしたなんて言えませんでした。
本当に誰にも言えず、状況が悪化したからこそ主人にだけ全てを話したのです。
親友には軽い感じで話していましたが、恥ずかしくて金額だの何だの・・・と全ては言えませんでした。
実家で生活を送っていた数週間の間にも返済の事を考え、なんとか返済をする為に外へ出ようとしていたのですが、心配する両親には外出させてもらえず、いつも主人に電話で返済をお願いしていました。
そうこうしているうちに、子供の夏休みも終わりに近づいてきました。
「どうするの?このまま帰ったところで子供の面倒なんかみれないじゃない!」と言う母。当たり前ですよね。
ほぼ寝たきり状態の私は、本当に家事も育児も、もちろん仕事も出来ないんですから。
両親が言うことはもっともでした。ですが、私の頭の中は「返済」という2文字でいっぱいになっていて、どうしようもありませんでした。
主人にも限界が見えていました。
仕事をこなしながら返済を考え、やり繰りをする生活なんて長くは続きません。体力的にというよりも、精神的に限界だとわかりました。
"ここで主人も私と同じようになってしまったら・・・"
そう考えた私が決めた事。
それは、自宅へ戻らず実家からも出て一人暮らしをする事でした。
当時、病院では診察のたびに入院を勧められていましたが、精神病院に入院すると自由に外泊が出来ず、子供にも会えないという理由で断り続けていました。
一人暮らしをすれば義父母にも色々と言われる事はありませんし、自由に子供に会えるし、もちろん返済へも自分で行ける...と安易ではありますが、当時の私が最大限考えてだした結論でした。
ただ、一人暮らしに両親は最後まで反対していました。
(夫は話したら承諾してくれました。)
「こんな状態で1人暮らしなんて、危ない!何かあったら誰が連絡してくれるの?!」と。
それでも返済の事を言えなかった私は、主人と決めた事として、自宅から荷物を運び一人暮らしを開始しました。
生まれて初めての一人暮らし!ただ、家族3人バラバラで暮らすことに...。
生まれて初めての一人暮らしだったので、少し精神的にも開放された気がしました。が、そんな事を言っていられないのが現実。この時すでに返済の遅れがあり、色々な会社から何度も電話が来ていました。
主人とは、自分の返済は自分で・・・という事にしたので、毎月私の分として振り込んでもらうお給料(役員報酬)でやり繰りをして、遅れていた分も返済をしなければなりません。
段々と食欲も落ち、体力的にも限界に来ていましたが、何とかやり繰りをしていました。
やり繰りといっても、家賃・光熱費の支払いがあったので食費を削るぐらいでした。
それを察知した主人は、毎月お金を余分に振り込んでくれていたのです。
会社より私の事を優先してくれていること、「はやく元気になって子供にこれ以上寂しい思いをさせないで欲しい」と主人が望んでいたこともわかっていました。
主人に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになりながら、振り込まれたお金で返済をして、病院も近場のところに通う生活を送っていました。
この時は「再婚した相手が主人で良かった。」と心から思いました。
そして子供とは、週に一度、私のアパートに連れてきて泊まったり、実家に2人で泊まりにいったりして過ごしていました。毎週その一泊を楽しみに毎日頑張っていました。
ところがある日、母に「最近○○ちゃん(子供)、学校が終わったら、うち(私の実家)に帰ってきちゃうんだよね。うちで夕飯を食べてからパパに迎えにきてもらうんだけど、パパだって仕事して疲れて帰ってきてるんだから、ちゃんと○○ちゃんのおうち(夫と義父母の住む家)に帰りなって言ってるんだけど・・・」と言われたのです。
その後、「やっぱり、凛子が居ないから居場所がないんじゃないかなぁ・・・」と言い出し、結局子供はしばらくの間、実家でみてもらうことになってしまいました。
3人の家族がそれぞれ違う場所で生活をし、毎日を過ごす。あり得ない事ですよね?
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この体験談の目次
- 1話多額の借金を抱えて自己破産!ストレスでうつにもなった私の壮絶人生
- 2話うつ病で廃人のようになり、家族3人バラバラに暮らすことに
- 3話借入件数42件、借金1,200万円の自己破産手続き。審査に通るのか?
- 4話ついに免責許可がおり、自己破産完了!さらなる試練のはじまり
- 5話ついに離婚、家庭崩壊へ。主人と義母の顔が重なり限界でした。
- 6話母子家庭となり、生活保護の受給申請。新生活のスタート
- 7話生活保護中に申込んだクレジットカード。奇跡的に審査通過!
- 8話自己破産、うつ病、生活保護受給、今回の経験を通して学んだこと
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