借金問題は解決したのに、悪化する自傷行為とパニック症候群【体験談】

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【この体験談について】
夫と義父の失業をきっかけに家族で起こした会社。その資金繰りのために私は多額の借金を背負ってしまいました。結果的に私も夫も自己破産することになったのですが、私は借金や義父母のプレッシャーによりうつ病になってしまったのです。結局、病気のせいで夫とも離婚し、母子家庭で生活保護を受けることに・・・。今回は、そのときの様子を体験談形式でお伝えしたいと思います。

【前回のあらすじ】
夫の自己破産も済み、義父母とも別居することに。
しかし、私は病気の治療のために一人暮らしを続けることにしました。

【この記事を最初からお読みになる場合は、
多額の借金を抱えて自己破産!ストレスでうつにもなった私の壮絶人生』からご覧ください。】

自傷行為をするようになっていた私

本来ならば、親子3人で暮らしながら病気と闘っていく方が自然なのでしょうが、私には『自傷行為』という症状が出ており、リストカットを繰り返すようになっていましたので、子供と一緒に生活して、もし子供の前でやってしまったら・・・と考えた挙句の結論でもありました。

知らないうちに手首に何本も切った傷があり、自分の座っている周りも、自分自身も血だらけで・・・という事が頻繁に起こっていました。

友人が毎日様子を見に来てくれていたので、緊急で病院へ連れて行ってくれたり、パニック症候群の発作が併発していると、救急車を呼んでくれたり、と1日おきに病院のベッドで目が覚めるような状態だったのです。

"これで病気は治る"と思って自己破産をしましたが、こうして自己破産後もどんどん症状が進んでしまいました

さらに今回、最も気がかりだった子供とまた元のように生活が出来るチャンスだったのに、自分の病気のせいで逃してしまったことで、自分を責めて続けてしまい、その後もどんどん重くなっていきました。

リストカットをしている時は、意識はなく、感覚もありませんでした。気付くと(目が覚めると)両腕が包帯でグルグル巻きになっているので、"またやってしまった・・・"といつも後悔するのです。

"こんな姿を子供にも両親にも見せる訳にはいかない!"

この気持ちだけはハッキリとありましたから、病気を治すまでは1人で生活をしなければならないと、自分で決めていました。

家事と仕事を両立する主人、しかしそれも限界に・・・。

主人は、子供と私の実家の両親とで話合いをした結果、転居先が私の実家からも近いという事で子供と2人で生活をする事になりました。

主人は再び、仕事と家事の両立をしてくれていたのです。

それから1年ぐらいすると、子供も中学校へ通うようになり、「○○も中学生になったし、もうそろそろ戻ってきてくれないと、いい加減 俺も限界だ。」と電話がありました。

中学生にもなると、お弁当が始まります。
主人は毎日、自分の分と子供の分のお弁当を作っていました。

その頃の主人は、朝早く起きて洗濯機を回し、お弁当を2つ作り、洗濯物を干している間に子供に朝食を食べさせ、学校へ送りながら自分は現場へ向かう。

この繰り返しだったのです。

法人は廃業してしまいましたが、個人事業主(一人親方)という事で仕事の依頼を受けていたので、なんとか時間の都合をつけていたようですが、やはり現場が忙しくなってくるとそんな事もいっていられず、限界が来たのだと説明されました。

ただ、私の状態は最悪でしたから、主人に「実は自傷行為があって・・・例え戻ったとしても、ご飯も作れないし、洗濯も出来る状態じゃないです。」と正直に話しました。

自傷行為については主人にも言っていませんでしたので、驚いたようで一瞬沈黙になりました。

そんな状態なら尚更!戻って来なさい!!」と主人に強い口調で言われたので「わかりました。またご負担をかけますが、宜しくお願いします。」と言い、その1週間後ぐらいに転居先へ戻りました。

主人も子供も、私が戻るととても喜んでくれましたが、その反面、私の両腕の包帯をとても心配そうにみていました。

主人の居る前で私は「お母さん、ちょっと火傷しちゃってね・・・」と子供に説明すると、子供は「そうなんだぁ。気をつけないとね。」と言い、納得していました。

家族3人での生活。でもそこには義母の影が・・・!

その後も主人は何の文句も言わず、仕事と家事の両立をしてくれていました。
でも、私が主人から聞いていたのは限界という言葉

少しでもと思って、起き上がれる時に家事をやろうとするのですが、途中で倒れてしまったり、その場で眠ってしまったりして、結局は主人がこなしていました。

そんなある日、担当の先生が恐れていた出来事が起きてしまったのです。

その日は主人がお休みだったのですが、近所の人に仕事を頼まれ出かけていました。子供も部活で留守でした。

私は自分の部屋が2階にあり、カーテンを閉めたままベッドで寝ていました。モウロウとしている中で、玄関のチャイムの音が何度も何度も鳴りました。

いつもチャイムが鳴っても私は出る事が出来ませんので、寝たままで起き上がる事はしませんでした。ところが、しつこいぐらいにチャイムがなるのです。

そのうち「○○―!○○居ないのー!!」と主人の名前を呼ぶ声がしたので、ゆっくり起き上がり、カーテンの隙間から覗くと、忘れていた義母だったのです。

一瞬、私の意識がハッキリしました。
そして何をされる訳でもないのに、やたらと緊張したのを今でもハッキリ覚えています。

ジーっと気配を殺し、居なくなるのを待ちました。

10分ぐらいでしょうか、カーテンから覗くと義母の姿はなく、緊張の糸が切れたようにその場で倒れていました。

その30分後ぐらいに主人が戻ってきて、私の部屋に様子を見に来たので「お母さんが来た」とだけ伝えました。

「何しに来たんだろう。で、出たの?」と聞いてきたので、
「・・・・。」
突然、声が出なくなってしまいました。

「出なかった。」
と言おうとしたら、声が出なくなってしまったのです。

主人はすぐに私の異変に気付きました。

「どうしたの?声出ないの?」
と一生懸命聞いてくるのですが、私は首をたてに振る事しか出来ません。

「ちょっと待ってて!病院に電話してくるから」と言って1階に降りて行きました。その間も私は「あーあー」と言っているつもりなのですが、一切声は出ていませんでした。

15分ぐらいすると主人が戻ってきました。

「先生に聞いたら、お袋のせいだって。精神的なものだから、薬で声が出る訳じゃないって言われたよ・・・。なんでお袋来たんだ!!」と怒り始めました。

そして、「もうお袋に来るなっていうよ!」とかなりいきりだっていました。

その後、子供が帰宅し、主人が私の声について話すと「お母さん平気だよ。紙に書けばいいし、パソコンだってあるじゃん。」と言ってくれたので、主人も私も少し落ち着きました。

【この続きはこちら】
ついに離婚、家庭崩壊へ。主人と義母の顔が重なり限界でした。』からお読みください】

【この体験談特集の目次】
1,多額の借金を抱えて自己破産!ストレスでうつにもなった私の壮絶人生
2,会社の資金繰りと生活費に困り、キャッシングに手を出すことに...
3,資金繰り、融資のために個人でキャッシングを繰り返すように・・
4,借金の不安からくるストレスで突然体調に!心療内科に行ってみると...
5,借金のストレスが原因?ついに「うつ病」と診断された。
6,うつ病で廃人のようになり、家族3人バラバラに暮らすことに
7,市の弁護士会、区役所への相談。自己破産すべきかを迷う。
8,借入件数42件、借金1,200万円の自己破産手続き。審査に通るのか?
9,ついに免責許可がおり、自己破産完了!さらなる試練のはじまり
10,次は夫の自己破産と会社の倒産手続。私といえば薬漬けでモウロウ
11,借金問題は解決したのに、悪化する自傷行為とパニック症候群
12,ついに離婚、家庭崩壊へ。主人と義母の顔が重なり限界でした。
13,母子家庭となり、生活保護の受給申請。新生活のスタート
14,生活保護中に申込んだクレジットカード。奇跡的に審査通過!
15,自己破産、うつ病、生活保護受給、今回の経験を通して学んだこと

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