多額の借金を抱えて自己破産!ストレスでうつにもなった私の壮絶人生

この体験談について

夫と義父の失業をきっかけに家族で起こした会社。その資金繰りのために私は多額の借金を背負ってしまいました。結果的に私も夫も自己破産することになったのですが、私は借金や義父母のプレッシャーによりうつ病になってしまったのです。結局、病気のせいで夫とも離婚し、母子家庭で生活保護を受けることに・・・。今回は、そのときの様子を体験談形式でお伝えしたいと思います。

体験者の情報

名前:森村 凛子(仮名)
性別:女性
会社名:VISA、マスター、セゾン、アコム、レイク、プロミスなど
当時の職業:建築会社経営(監査役)
当時の年齢:32歳(自己破産時の年齢:35歳)
当時の借金の合計額:1,200万円
借入理由:会社の運営資金、病的な考えから
〔債務整理方法:自己破産〕
〔債務整理をしていた時期:2002年11月~2005年10月〕
〔費用:30万円〕

すべてのはじまりは、再婚と義母、義父との同居

今から数年前のことです。私は子連れで再婚しました。

当時私は28歳、子供6歳。ちょうど子供が小学校へ上がる時でした。

再婚相手は、とても子煩悩で優しくて、仕事もお出来になる人でした。

ただ1つ、再婚する際に私が気にしていたのは、その人が一人っ子という事と、子連れで再婚という私に比べ、その方は初婚。

ただでさえ肩身の狭い思いがあるというのに、2世帯住宅にし、生活をするという事でした。

2世帯住宅といっても玄関は1つだったので、1階と2階の2世帯住宅です。

既存の家を増改築し、無理やり2世帯にするという事でしたので致し方ないところでもありますが、私の中では"これは2世帯住宅っていうのかしら?" "玄関がわかれてないって事は、プライベートはちゃんと守られるのかしら?"という事が常に気になっていたのです。

結婚当初、私は専業主婦をしながら、主人の仕事を少し手伝っていました。

手伝いといっても、会社へ提出するノートの付け出しと、管理だけですが・・・

主人は会社に所属している【職人】で、現場の内容を全てノートに記載し、月末会社に提出する事になっていました。

このノートを提出しないとお給料が発生しないという事でしたので、もともと義母が付けていたものを教えてもらい、義母に代わって私が付けるようになっていたのです。

義母が付けていた主人の分のノートを結婚後私が付ける事になったので書き方などを教わり、毎日主人から聞いた内容などを付けていました。

突然、夫と義父が失業することに!

こうして始まった再婚生活だったのですが、結婚した翌年のお正月。

結婚して10カ月目にやってきたお正月の事です。

毎年一家で会社へお年始のご挨拶に出向いて行くという事でしたので、私も子供も一緒に会社へ行きました。

初めにお年始のご挨拶。
そして宴が始まり、職人仲間の方々とも少しずつ話がはずんできた時、社長からお話がありました。

「皆さんにはとても残念なお知らせですが、今年をもって会社をたたもうと思います。昨今は経営が非常に難しく、このままでいくと皆さんのお給料すら払えなくなってしまうと思いますので・・・これまで御苦労さまでした。」

驚きました。

一家で顔を見合わせ、義母が「待って下さいよ。うちなんて2人ともここで働いているのに、これからどうやって生活していけばいいんですか?お父さんはもういい歳なんですよ!今更 他へなんて無理に決まってるでしょう!」と社長に食いついて行きました。

ですが社長は、「いやーそれは十分わかってますよ。本当に頑張ってもらったと思ってますし・・・でも、本当にもう続けられないんだよ。」と言いながら頭を下げたのです。

義母も、もうこれ以上は言っても無駄だと思ったらしく、我々に「どうする?会社でもやる?」ととんでもない事を言い出したのです。

確かに義父と主人は同じ事をしてきたので、一緒に仕事をする事は出来ます。

が、会社を興すなんてあまりにも唐突すぎて、私は"会社を興すってどういう事かわかってるの?!"と怒鳴りたいぐらいでした。

というのも、私は再婚するまでに2回起業に携わった事があったので大変さが身にしみて分かっていました。だからこそ思った事です。

資金繰りもそうですが、義父も主人もいわゆる職人。

技術はありますが、それをどうやって売っていくのか・・・
一瞬パニックに陥りました。

そして義母に限っては自宅で全く違った仕事を内職としてやっていましたので、あてにならないし・・・

子供はこれからお金がかかる。

結婚してたった10ヶ月でこんな話が出てくるなんて思ってもみませんでしたから本当に驚きました。

お年始の楽しい宴もあっという間に地獄の宴へと変わり、これ以上話しても無駄だと思った義母も腰を上げて一家で自宅へ戻りました。

家族4人で会社をおこすことに・・・!

それからです。大人4人での話合い。

私は嫁の立場として「会社を興すのは本当に大変なんですよ。」とか、「資金繰りだって難しいし・・・」と言うだけで、基本的には関与しないようにしていました。

嫁の私は、義父・義母・主人が決めた事に意見をしてはいけないと思っていましたので、子供が飽きてしまった頃、子供と一緒に2階にある自分の家へ戻り夕飯の支度をしていました。

すると間もなく主人が上がってきて「会社やる事になった。」と言うのです。

起業経験者があるのは私1人。当然のごとく人数に入っており、逆に義母は内職があるからという理由で人数には入っていませんでした。

資金繰りに奔走した果てに、キャッシングに手を出してしまう

当時、株式会社として起業する際は資本金として1,000万円が必要でした。

個人事業として起業すれば資本金は特に要らなかったのですが、個人事業では取引額も少なくなってしまう事が考えられ、融資を受け株式登記をする事にしたのです。

突然の事でしたが、私は子供の事を考えると動くしかなく、技術しか持たない義父や主人の替わりに、公的融資を受けられる様に走り回りました。

結果、その年の4月に登記が無事終わり、株式会社として経営をしていく事になったのです。

ただ、またここで新たなる問題が・・・
そうなんです。技術しか持たない面々。

自分の技術を売り込む術を知らず起業したのはいいが、どうやって取引先を見つければ良いのか全く分かっていませんでした。

登記まで済ませればという思いで遂行してきたのに、更なる問題が勃発してしまったのです。

融資を受け、設備に投入し準備万端になったものの、仕事がなければやっていけません。そして融資の返済も始まります。

それでも私は黙って見守っていましたが、義母の無責任な一言で全てが始まってしまったのです。

「あなたはどうしたらいいかわかるでしょう?!なんとかしてね!」という一言で・・・

当時、株式会社は代表取締役社長、取締役2人、監査役1人で構成されていました。

社長は義父、取締役は義母と主人、そして嫁の私は監査役という役回りで登記しましたが、義父はそれこそいいお歳でしたし、義母は名ばかりでしたし、結果主人と私が主として動くしかありませんでした。

すでに技術者2人の中では世代交代がなされていたようでしたので、主人が動くという事は暗黙の了解でしたが、私に限っては嫁と言う立場もあり、指図する訳にもいかず非常にやりづらかった事を今でも覚えています。

ところが、主人も技術者ですので営業は私1人。

家中の生活費を生み出さなければならなかった私は、必死に営業しました。

技術や単価の話では訪問のアポイントを取り、主人と一緒に訪問したり、義父と主人2人で訪問させたりと試行錯誤を繰り返し、ようやく波に乗り始めました。

ここまでに3ヶ月が経ち、すでに融資の返済も始まっていました。

金銭の事、いわゆる経理関係――保険や年金の手続きの様な雑務、技術以外は全て私1人が兼任し、義母は自分の内職だけで、会社の事には全てノータッチでした。

現場仕事というのは、どうしても先に経費がかかります(完工し取引先の〆支払いに合わせて入金されてくるので)。

現場に入れば入るほどお金が足りなくなるのです。

結果、私は会社のやり繰りの為に作ったクレジットカードで現金を借り、それでも足りずキャッシングをし始めてしまったのです。

最初は少額でなんとかやり繰り出来ていたものの、取引先の〆日に間に合わない現場が出ると、途端に入金が1ヶ月遅れる事になり、新たな金融会社からキャッシングをし、やり繰りをしていました。

こうなると、よく言う【雪だるま式】という事になり、返済はどんどん追いつかなくなってしまいました。

手元に現金が無い状態になると不安感に駆られ、次々と現金を用意しなければならないと借入先を増やしていってしまったのです。

そして、いよいよ私が借入れ出来なくなると、今度は主人が借入れするようになりました。

義母からは少しでもお給料が遅れると「生活出来ないよ!」と言われ、常に取り立てられているかの様になっていました。

2世帯だけに、逃げる事も隠れる事も出来ずにいたのです。

そうこうしている間に主人の借入れも増えていきました。

主人は自分の両親の生活がかかっている為、私の借入れの件に関しては何も言わず、夫婦2人で借金を繰り返す生活をする事となり、それぞれの金融会社の返済期日がくると、他の金融会社に返済した分からまた借りる。

これを繰り返してしまいました。

会社を興す事もなく、普通に生活をしている方には無縁の話だと思います。

私も、未だに"あの時、会社なんてやってなかったら・・・"と考えるほどなのですから・・・

会社設立時に受けた融資は約700万円

会社を株式登記した時、公的融資を受けました。

本来ならば自己資金を3分の1は用意しなければならなかったのですが、突然の起業だったため、自己資金は親戚から集めた300万円でした。

いわゆる【見せ金】というものです。

私が融資を相談したのは県の中小企業団体。

ここの方々に事情を話したところ、快く相談に応じて下さり本当に良くして下さいました。

融資を始める際に必ず必要なのは事業計画書。

この計画書は、集客見込み数や、売上げ見込み金額など全てを想定し、計算して導いていくものです。何度も何度も足を運び、何度も計算をし直しました。

そして次は面談。
中小企業団体の方数名と面談をしたのですが、この時は事業計画書の内容を細かく聞かれ、その他に営業方法や宣伝方法などを聞かれました。

こうして全てが終わり、審査となりました。(審査結果は面談から約1カ月ぐらいだったと思います。)

融資金額は1,000万円
運転資金300万円、設備資金700万円

無事に融資されました。

早速、見せ金として集めたお金を全て親戚に返済し、設備資金700万円で工具などを揃えました。

幸いトラックは所有していましたので、購入した自動車は雪でも現場へ出られるように4WDで工具などをつめる大きな自動車1台でした。

ただ、この自動車は税金対策品でもあったので新車で購入したのです。(新車購入の場合、源伽償却として7年間計上出来ます。)

そしてこの自動車は頭金を入れず、あえて全額法人ローンとしていました。

現金は手元に置いておかなければ運転資金になりませんし、自動車の総額も装備を色々と付けた結果、約700万円となってしまったからです。

全て準備をしてから3ヶ月目、ようやく仕事が入るようになりました。

ですが、これまでの3ヶ月間、仕事は無くても給料(役員報酬)は支払わなければなりません。

本来なら、役員報酬は売上げに対し発生するものだと聞いています。

もしそうなら、売上げが無いので支払わなくても良い。とされるところですが、当時の税理士と相談した結果、生活費や社会保険・厚生年金などの事もあり、当初から毎月定額を支払う事にしていました。

3ヶ月分の人件費だけでも、約250万円程だったと思います。それに、組合費や融資の返済、自動車ローンと支払いは山積み。

1,000万円の融資を受けてから考えると、親戚に返済し、設備などを準備し、3ヶ月分の人件費など色々なものを引いて、手元に残った金額は約150万円だったと思います。

この150万円が本当の運転資金となるのです。

資金繰りに困り、ついにキャッシングに手を出してしまいます

仕事が入ってくれば材料費と交通費は全て立替えとなるので、売上げが多く望めるような大きな現場に入れば入るほど、持ち出しも多くなり、どんどん赤字になってしまいます。

会社によってまちまちですが、取引していた会社は〆日が月末で、支払い日が翌々月の10日というところばかりでした。

そうなると、約2ヶ月分を持ち出す事になります。

残りの150万円もあっという間に底をつき、材料費や交通費が足りなくなってしまったので、1人悩み、キャッシングに手を出してしまったのです。

最初に借りた金額は50万円
それを返済すると、信用が得られたのか限度額が100万円になりました。

50万円を一旦借り、翌日全額返済し、限度額が100万円になった時点で再度100万円を借りました。

他の会社も同じ様なシステムで、最初の限度額は小さいけれど、返済すれば限度額は大きくなるところばかりでした。

借りたばかりの100万円もあっという間に経費となり、また違う会社に借入の申し込み。それをくり返してしまいました。

キャッシングの前に追加融資という事も考えましたし、法人ローンも考え色々なところへ相談に行きましたが、いずれも決算書が2~3期分ないと対象にならなかったのです。

すぐにお金が必要だった私は、個人名でキャッシングをしてしまったという訳です。

その後、1社の返済の為にもう1社増やし、またその返済の為にもう1社増やし・・・と、気が付いたら【雪だるま式】に増えていました

キャッシング額がいっぱいになると、カードショッピング枠で貴金属やブランド品を買い、そのまま売る。最後にはこうしてお金を作る様になっていました。

借り始めたときは、"○○会社からの入金を返済にあてよう"と思っていました。

それが段々と"○日に入金があるから返済にあてて、返済したらまた借りて資金に・・・"と考えるようになり気が付けば莫大な枚数のカードが手元にありました。

当時は事の重大さをわかっていなかったので「トランプが出来そうな枚数だよね」なんて友人と笑っていたのです。

ただ、笑っていながら心の中ではいつも"会社の為、家族の為なのだから仕方がない"と言い聞かせる自分と、"ダメだよ!!これ以上借りたら返せないよ!"という自分が闘っていました。

それでも、やり始めた会社を早々とたたむ訳にもいかず、誰にも相談出来ず1人黙々とお金の事だけを考えて毎日を過ごしていました。

そのうち、自分1人ではどうする事も出来ないぐらいの経費が必要になったある日、主人に全てを話したのです。

すると主人は私を責める事もろくにせず、自分の名義でも借入をするようになりました。

きっと主人は両親の生活を考え、借入をする事にしたのだと思います。

私の体に異変が・・・!

こうした生活が3年ぐらい続いた頃、私はある病気におかされはじめていたのです。

いつも子供を学校へ送り出してから、洗濯物や布団を干し、掃除機をかけ、午前中のうちに買い物へ行っていました。

営業がある時は子供を学校へ送り出してから営業先へ行き、その帰りに買い物をして帰宅し、いずれも子供が学校から帰宅する頃には家に居て「お帰り」と言うようにしていたのです。

そんなある日、"風邪でもひいたのかなぁ"という様な身体のだるさを感じるようになりました。ですが、主婦業は多少身体がだるくても待ってはくれません。

何事も無いかのように毎日無理やり身体を動かし、だるさをやり過ごしていました。

ところがその数日後、あまりにもだるくて外へ行くどころか洗濯物や布団を干す事すら出来なくなりました。

"おかしいなぁ。風邪にしては咳も出ないし・・・"

そうなんです。
微熱は若干ありましたが、他に風邪の症状は出ていませんでした。

さらに数日すると、あまりのだるさにご飯も作れなくなり、口を動かす事も辛く、会話すらしなくなってしまいました。

日を追うごとに起き上がる事も出来なくなり、ついに【寝たきり】状態になってしまったのです。

それでも寝たきり状態の最初の頃は、電話が鳴れば子機を何とか取り、枕と頭に挟んでかろうじて会話をしていました。

それも段々と電話の相手に「何を言っているかわからないよ。もう少しハッキリ言って」と言われる事が多くなり、後に2回電話が鳴るうちの1回、3回鳴るうちの1回と電話に出られる回数も減っていきました。

毎日ベッドからテレビだけをボーッと見ていましたが、見ていると思ったら眠っている。という事が多くなり、気付けば主人が家事もこなしてくれていました。

電話の鳴る音も夢の中で鳴っているのか、遠くで鳴っているのか・・・というぐらいの状態でしたし、子機を取る手も重く感じ動かせないのです。

友人からの電話がきっかけで心療内科に行くことに

そうなってからどれぐらいの日が経ったか定かではありませんが、いつもはボヤーッと聞こえる電話の音が、一度だけハッキリ聞こえました。

そして、何故かこの時だけは子機を取る事が出来たのです。いつもの様に子機を枕と頭に挟み、声を聞いてみると学生時代からの親友でした。

親友とは電話やメールなどで状況を報告していたようですが、その辺についてはあまり記憶がありません。ただ、かろうじて取った子機から親友の物凄い叫び声がしたのは、今でもハッキリ覚えています。

「凛子!!お願いだからテレビをつけて!!」と・・・

私は「テレビ?!ついてるけど・・・」と言うと、今度は「6見て!6!!」とTBSを見ろというのです。

テレビのリモコンは常に枕元に置いてありましたので、重く感じる手を何とか動かし、親友の言うとおり6にしました。

「6にしたよ・・・」
と伝えると、親友が話始めたのです。

「今から言う事よく聞いてね。今、テレビで病院を紹介してるんだけど、いい病院みたいだから行ってきて!本当は連れて行ってあげたいんだけど、行けそうもないから・・・」と。

「病院・・・なんで病院へ行かなくちゃいけないの?」
という私に親友はまた言いました。

「いいから電話番号をちゃんと覚えて、とりあえず連絡してみて!お願いだから!!」と、尋常じゃないぐらい叫んでいました。

元々、私の性格上、頼まれるとイヤと言えないところがあり、親友がそこまで言うなら・・・という感じで、テレビに出ている番号を覚え、電話をしました。

その病院は心療内科でした。
電話はちゃんとその心療内科に通じましたが、今度は何を言ったら良いのかわかりません。

すると、電話に出られた方が「どうされましたか?」と言うので、「よくわからないんですが、友人がここへ電話しろと言うので・・・」と経緯を説明しました。

すると相手の方が「とりあえず、予約をとりましょう。いつ頃お越しになれますか?」と私に聞きました。

私は「いつでも大丈夫ですが・・・」と答えると、「では、○月×日の午前10:00にお越し下さい。」と言われました。

その日付は確か電話をした翌日でした。

通常ならとてもだるくて起き上がることも出来なかったはずが、この時だけは頭の中に"行かなくちゃいけない!!"という言葉がグルグル回っていて、自宅から車で40分ぐらいかかる心療内科まで、1人で運転して行きました。

どの道を通ったのかは、未だにまったく思い出せませんが病院へ着いてからのことはハッキリ覚えています。

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うつ病で廃人のようになり、家族3人バラバラに暮らすことに

この体験談の目次

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